最新記事

BOOKS

『天皇の憂鬱』が解き明かす、象徴天皇をかたちづくった「軽井沢」

2019年4月22日(月)19時30分
印南敦史(作家、書評家)

折しも、日本がポツダム宣言を受諾したあとも天皇の地位が定まらず、「退位論」が現実味を帯びていた時期。昭和23年に東京裁判の判決が近づくと、当時のメディアはさかんに「天皇退位」を取り上げた。

さらにA級戦犯が、皇太子の誕生日に絞首刑にされている。皇太子が軽井沢を訪れたのはその翌年だった。皇太子がバイニング夫人から、「将来、何になりたいか」と尋ねられ、「私は天皇になる」と答えたのも、天皇家を取り巻く厳しい状況があったからなのかもしれないと著者は推測している。

しかし、軽井沢はそうした厳しい現実をすっかり忘れさせてくれる場所だったということだ。やがて彼の地で正田美智子(当時)と出会ったことを考え合わせても、充分に納得できる話である。

ところで「象徴天皇」ということばを読み解いていくと、GHQに押し付けられたのではなく、国際的リベラリストで昭和天皇の信頼が篤く、クエーカー(キリスト教の一派で絶対的平和主義で知られる)教徒でもあった新渡戸稲造にたどり着くのだという。

そのことについて解説しているのは、新渡戸稲造の研究で知られる拓殖大学名誉教授の草原克豪だ。


「新渡戸は昭和六年に英国で出版された英文『日本』の中で、〈天皇は、国民の代表であり、国民統合の象徴である〉と述べています。
 その三十一年前にアメリカで出版された名著『武士道』においても、天皇が〈国民的統一の象徴〉(原文では〈Symbol of National Unity〉)であることを強調していました。アメリカはこうした新渡戸の天皇観を参考にしながら、戦後の象徴天皇制の基礎作りをしたものと思われます」(119ページより)


「クエーカーはもともと慈善事業に熱心で、戦後の日本の復興事業にも積極的に協力していたので、当時の日本におけるクエーカー人脈の果たした役割は軽視できないものがあります」と草原は言う。
 実際、現憲法に大きな影響を与えたマッカーサーの副官ボナー・フェラーズは新渡戸と同じクエーカー教徒であり、当然新渡戸の本は読んでいたといわれる。ちなみに、天皇の人格形成に影響を与えたといわれるバイニング夫人もクエーカー教徒である。
 新渡戸は軽井沢に別荘を構え、いまも新渡戸通りにその名を残す。(119~120ページより)

新しく定められた象徴天皇を支えたのは、戦後、宮内庁長官になった田島道治であり、侍従長になった三谷隆信だが、このふたりは新渡戸の門下生。田島は新渡戸家の近くに別荘を持っており、皇后と同じく、戦時中は軽井沢に疎開していた。また、終戦直後の文部大臣で天皇の『人間宣言』を起草した前田多門とも交流があったそうだ。

戦後の皇室を支えた人物としては、前田多門の他に安倍能成(学習院院長)、田中耕太郎(最高裁判官)の名がしばしば登場するが、大正7(1918)年、新渡戸が後藤新平と軽井沢夏季大学を開設した際、その運営にあたったのが前田多門と鶴見裕輔(衆議院議員)らだったという。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

ビットコイン一時9万ドル割れ、リスク志向後退 機関

ビジネス

ユーロ圏銀行、資金調達の市場依存が危機時にリスク=

ビジネス

欧州の銀行、前例のないリスクに備えを ECB警告

ビジネス

ブラジル、仮想通貨の国際決済に課税検討=関係筋
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影風景がSNSで話題に、「再現度が高すぎる」とファン興奮
  • 3
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    マイケル・J・フォックスが新著で初めて語る、40年目…
  • 6
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 10
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中