企画に合うコメントを求めていないか? 在日コリアンの生活史が教えてくれること
しかし延奎さんの妻で、伯母の朴貞姫(パク・チョンヒ)さんからは体験しているはずなのにいつまで経っても四・三事件の話は出てこず、魚と畑と家と家族の話ばかりだったそうだ。そして彼女は15歳前後の頃、朝鮮解放後に日本を目指した韓国・朝鮮人を「密航者」として収容していた大村収容所(長崎県)にいたが、当時を
「ものすごい食べるもんがあんねん」
「その、腹減ると、ものすごい面白い」
「刑務所いうても、めっちゃええねん。みんなこんな畳の上でな、もう座って遊ぶしな、何もそんな、どっか閉じ込められるとかそんなん違うねん」
と振り返っている。
この言葉に朴さんも頭の中で「いや伯母さん、収容されてるんだから閉じ込められてるでしょ......」というツッコミを入れるが、「きっと、伯母さんは本当に楽しかったのだろう」とも記している。
大村収容所で被収容者の待遇改善を求める決起集会やデモが行われたことと、伯母さんが同じ場所を「ものすごい面白い」「めっちゃええ」と話したこと、どちらもともに事実であるなら、それはいかなる意味において「本当」なのか、そこから何がわかるのだろうか。
ごく簡単だろう。他の収容者にとっては集会やデモを行わなければならないほどの環境が、おばさんにとっては「めっちゃええ」環境だったのだ。それまでの済州の暮らしと比較して「めっちゃええ」のかもしれないし、その後の大阪の暮らしと比較して「めっちゃええ」のかもしれない。
朴さんは伯母が四・三事件について語らなかったことについて、「幸せな記憶の方だけを語ることを選んだのかもしれない」と思いつつも、同時に「本当のところどうなのかは、私にはわからない。もしかしたら伯母さん自身にも、もはやわからないのかもしれない」とも吐露する。
そして、誰かが自身の体験を歴史的な出来事と関連付けて話す際、その人の個人的な体験を歴史の中に位置づけて理解できたように感じてしまうことから、この貞姫伯母さんの話を、理解できていないように感じるとも語る。
私は長い間ずっと、伯母さんの話をどう理解すればいいのかわからないでいた。伯母さんの話があまりにも個人的で、他の事件と関連付けにくいからだ。伯母さんのインタビューを引用したところで、先行研究と結び付けにくいのだ。
しかし朴さんは伯母の語りを自分がわかるように誘導することも、「先行研究と結び付けにくいから」と切り捨てることもここではしない。わからないことを認めながら、じっくりと拾い続けていく。その上でこう言う。
この結びつかなさもまた、いやこの結びつかなさこそ、歴史的な事実なのだろうと思う。つまり四・三事件を「四・三事件」として語らないことや、大村収容所を同時期に起こっていた抗議行動やそれへの弾圧にもかかわらず、「ものすごく面白」くて「めっちゃええ」場所として思い出すことそれ自体から、私たちは情報を引き出せる。