最新記事

メディア

企画に合うコメントを求めていないか? 在日コリアンの生活史が教えてくれること

2019年1月28日(月)16時15分
碓氷連太郎

「大村収容所めっちゃええ」から見える人生とは

社会学者の岸政彦さんは、生活史調査の方法論と理論について記した『マンゴーと手榴弾』(勁草書房)の中で、聞き手がお願いし、語り手が自分の生い立ちや人生について語る中には「にわかに信じがたいもの、思い込みや勘違い、虚偽や誇張が含まれるかもしれないのだが、そういうものが含まれていてもなお、そこで語られている人生の物語は『全体的に真』である。語りは、切れば血がでる」ものだと言っている。

劣悪な環境で虐待も横行していたと言われる大村収容所を、伯母の言葉だけで「本当は収容者を丁重に扱い、非人道的なことなどしていなかった」という判断は下せないし、何と比較して「めっちゃええ」だったのかの答えはない。

しかし伯母の記憶に、他者が手を入れることはできない。だから「めっちゃええ」もまごうことなき真であり、血が通っている言葉であることがわかる。

語りを聞き出す側はしばしば、自分の頭の中で組み立てたストーリーに沿う言葉を求めてしまいがちだ。しかし話を聞き取れば、常に予想外のことが起こり、わからなさの淵に突き落とされることもある。それを「わからない」「企画意図と一致しない」からと切り落としてしまったら、語りの内側にあるものが見えないままになってしまう。

朴さんは貞姫伯母さんの章を


大村収容所が「ものすごい面白い」場所だったということから、おばさんのそれまでとそれからの生活の一端がどのようなものだったのか、想像できるかもしれない。

 そして、歴史をそのような形で、たった一人で持ち続けている姿を聞くことが、もしかすると、生活史を聞くということなのかもしれない。

と締めくくっている。

大村収容所の経験をまるで女子旅のように語る人生とは、一体どんなものなのか。そこまでは言葉になっていなくても読み手が想像できるのは、ひとえに伯母の「ものすごく面白い」という語りがあるからこそだ。

語りを聞き、記す上で大事なのは、自分が必要な言葉を相手に言わせることではない。わかる・わからないの前に相手の言葉をただ受け止めることと、そこに込められた思いや背景を、想像することなのかもしれない。

アカデミックな側面から生活史を調査することと、商業媒体に記事を書くことはもちろん違う作業だ。しかし誰かに起きたことを聞き取ることと、語りをまとめるという作業は共通している。

そういう意味でこの朴さんの「面白い家族の生活史」は、時に悩みながらも語りをまとめようとする人間すべてに、気づきを与える1冊と言えるだろう。


家(チベ)の歴史を書く
 朴沙羅 著
 筑摩書房


20250204issue_cover150.png
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年2月4日号(1月28日発売)は「トランプ革命」特集。大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で、世界はこう変わる


※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英企業信頼感、1月は1年ぶり低水準 事業見通しは改

ビジネス

基調物価の2%上昇に向け、緩和的な金融環境を維持=

ワールド

米運輸長官、連邦航空局の改革表明 旅客機・ヘリ衝突

ビジネス

コマツの4ー12月期、営業益2.8%増 建機販売減
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 4
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 5
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 6
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 7
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 8
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 9
    トランプのウクライナ戦争終結案、リーク情報が本当…
  • 10
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 3
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 4
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 5
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 6
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 7
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 8
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 9
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 10
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 5
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 10
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中