シリア反体制派の最後の牙城への総攻撃はひとまず回避された──その複雑な事情とは
その過剰一般化の最たるものが「反体制派」というマジックワードだ。
シリア内戦は当初、政府と反体制派の二項対立として描かれ、イスラーム国が台頭して以降は三つ巴の戦いと評された。それにより、反体制運動や武装闘争を行う雑多な集団、さらには彼らの支配下での生活を選んだ人々が、反体制派という言葉で十把一絡げにされてしまった。反体制派の内実に踏み込み過ぎると、複雑なシリア情勢がかえって理解しづらくなるというのが、過剰一般化の主な理由だった。だが、反体制派の実態に目を向けなければ、戦闘がどのように終息しようとしているかは理解できない。
反体制派と総称されてきた雑多な集団は、独裁に対して立ち向かう「フリーダム・ファイター」などではなく、アル=カーイダ系の「テロ組織」にハイジャックされて久しい。これが実態であって、それがもっとも顕著なのがイドリブ県なのだ。
イドリブ県は、2015年3月にファトフ軍を名のる武装連合体によって反体制派の支配下に入った。この連合体は、ヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動、トルコマン・イスラーム党、ジュンド・アクサー機構などからなり、これらはいずれもアル=カーイダの系譜を汲んでいた(表を参照)。
表 反体制派の実態
出所:筆者作成。
ファトフ軍に構成した武装集団はその後、アスタナ会議への対応などをめぐって離合集散を繰り返し、現在は二つの陣営に再編されている。
第1の陣営は、シャーム解放機構(旧ヌスラ戦線)を軸とする主戦派で、トルキスタン・イスラーム党、イッザ軍などからなる。これらの組織と一線を画す新興のフッラース・ディーン(日本人を拉致しているとされる集団)も主戦派に含めることができる(表を参照)。彼らは、イドリブ県、ハマー県北部、アレッポ県西部、ラタキア県東部で、シリア軍に対する抵抗を続けている。
第2の陣営は、シャーム軍団、シャーム自由人イスラーム運動、ヌールッディーン・ザンキー運動などからなる交戦回避派である。彼らは2018年6月、トルコの意向に沿うかたちで、国民解放戦線という新たな武装連合体を結成した(表を参照)。イドリブ県へのシリア軍の進攻に異議を唱え、徹底抗戦の構えを示し、シリア政府との和解を主唱する活動家や住民への粛清を続けている。だが、シリア軍に対して挑発的な行動はとらず、またシャーム解放機構の排除を主唱し、彼らと対立している。