「シリア革命」発祥の地の報道されない惨状と、越境攻撃するイスラエルの狙い
イスラエルが占領するゴラン高原からシリアでの爆発を撮影 Ronen Zvulun-REUTERS
<シリア南西部にイスラエルが越境攻撃を繰り返している。古くて新しいアラブ・イスラエル紛争のロジックに回帰させようとしているかのようだ>
「シリア革命」発祥の地であるダルアー市がシリア政府の手に陥ちた──同市中心街で抵抗を続けてきた反体制派が7月12日、シリア政府との停戦に応じ、武器を棄ててイドリブ県に去ったのである。
自由や尊厳といった理念ではなく、暴力によって支配された町
ダルアー市は、シリアで「アラブの春」が高揚するきっかけとなる事件が起きた町だ。2011年3月末、10代前半の子供たちが、チュニジアやエジプトでの抗議デモで掲げられた「国民は体制打倒を望む」というスローガンを、遊び半分で壁に落書きしたのがこの町だった。
抗議デモの波及に神経をとがらせていた治安当局は、この一件に過剰に反応し、子供たちを捕らえて拷問にかけた。家族や地元住民の不満は抗議運動に発展し、デモは各地に拡がった。治安部隊・軍の弾圧と武装化した反体制派による暴力の応酬が「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれるシリア内戦を誘発していった。
シリア政府が「革命の首都」と称されたヒムス市やアレッポ市の奪還に成功するなか、ダルアー市を含むシリア南西部は持ち堪えた。シリア政府はダルアー市の北半分と首都ダマスカスに至る県内の国際幹線道路沿いの地域を掌握していた。だが、それ以外のほぼ全域は反体制派が死守した。
とはいえ、ダルアー県の反体制派は、自由や尊厳といった「シリア革命」の理念ではなく、暴力によって支配を維持し、利己的な動機によって離合集散を繰り返した。2014年2月年に南部戦線として糾合した彼らは、2017年2月には「堅固な建造物」作戦司令室の名のもとに再編した。中核をなしたのは、アル=カーイダの系譜を汲むシャーム解放委員会(シャーム解放機構)やシャーム自由人イスラーム運動(シリア解放戦線)だった。
このほか、イスラエル占領下のゴラン高原(クナイトラ県)に面するダルアー県南西部のヤルムーク川河畔地域は、イスラーム国に忠誠を誓うハーリド・ブン・ワリード軍が手中に収めた。