優秀過ぎるアジア人学生「締め出し」でハーバード大学が犯した罪
だが合否判定プロセスはコカコーラのレシピとは違う。また、ハーバードが政府から5億ドルもの補助金を受け取っていることを考えても、人種差別の批判から逃れるためにそんな言い訳を使うことなど許されるはずがない。
理性がある人なら誰だって疑問に思うはずだ。ハーバードはアジア系学生の何を不満に思っているのかと。
公平を期すために言っておくと、こうしたことをやっているのはハーバードだけではない。全米各地の難関と言われる大学や高校が同様の差別を行っている。
アメリカの全人口の5.6%に過ぎないアジア系が「マイノリティ」であることは言をまたない。多くは肌の色が濃いし、顔立ちも違えば話す言葉も違う。貧しくともしっかりとした価値観と家族、そして高い労働倫理を携えてこの国にやってきた人々だ。
アジア系アメリカ人は、アメリカン・ドリームが健在であることを示すいい証拠だ。彼らの成功は、アメリカが白人と見た目や言葉が違う人々の社会的地位の向上を阻もうとする頑迷な輩や人種差別主義者の国ではないことの証拠でもある。
母のルーツを否定された女子学生
果たしてハーバードは人種差別という罪を犯したのだろうか。数年前にニューヨーク・タイムズに掲載された記事からは、同大学の知らぬ存ぜぬの主張がいかにばかげているかが見て取れる。
記事によれば、メリーランド州ベルツビルの高校3年生だったナターシャ・スコットは、大学への願書 を出すに際して1つ悩みを抱えていた。そこで彼女は、進学情報サイトの掲示板 にこんな投稿をしたという。
「自分の人種について考えなければならないことに気がつきました。こんなことは言いたくないけれど、黒人の欄に印を付ければ合格の可能性は上がるかも知れないけれど、アジア系に印を付ければ下がってしまうかも知れない」。ナターシャの母はアジア系で父は黒人だったのだ。
アフリカ系に印を付けるようにと母からも言われたとナターシャは言う。
「そうしたいのは山々だけれど、道義的に正しいことなんだろうかと悩んでしまう」と彼女は書いた。
何人かからアドバイスが寄せられたが、アフリカ系に印を付けろという人はいても、アジア系だけに印をつけろと言った人は誰もいなかった。
ナターシャはアドバイスに従ったが、内心忸怩たる思いもあったようだ。
「黒人にだけ印を付けたことに罪悪感を少し感じているのは事実だ。なぜなら私は、合格のために印象をよくしようと、自分自身の一部をわざと否定したのだから」と彼女は語ったという。