イランはアメリカを二度と信用しない
改革の一歩という期待
ガセムのような慎重派がいたのは事実だが、筆者の会った人の半数以上は、ハサンの「両国とも過去の遺恨を忘れるときだ」という発言に賛同していた。年齢40代後半から50代前半の彼らは、これからは自分たちが国を背負っていくのだと自負。欧米諸国に積極的に関与し、宗教的な縛りを減らし、経済を開放する意欲に燃えていた。
筆者の目にした隊員たちは狂信的な過激派ではなく、自分の意見を自由にぶつけ合っていた。政治家や官僚の無能さを鋭く指摘し、革命以来この国を牛耳っている聖職者への批判も口にしていた。
もちろん、全員が核合意に賛成していたわけではない。しかし80年代にイラン・イスラム共和国を守るために命懸けで戦った彼らは、革命の理想を失わずに内部から改革を進める必要性を感じていた。つまり彼らは現実主義者だった。
ハサンをはじめ、筆者が何年も対話してきた元隊員らは、イデオロギーにこだわり過ぎることのリスクを承知していた。何しろ彼らは70年代後半に、若き活動家として王政打倒の運動に加わり、親米イデオロギーにこだわり過ぎた王政の末路を見届けていたのだから。
核合意は15年7月に成立。しかしハサンたちは、手放しでは喜べなかった。それは待望の変化への重要な一歩だったが、あいにくアメリカ側に不気味な予兆があった。16年の大統領選挙だ。当選したドナルド・トランプは核合意の破棄を唱えていた。そしてイラン嫌いのジョン・ボルトンが国家安全保障担当の大統領補佐官となり、マイク・ポンペオが国務長官になり、ついに5月8日、核合意からの離脱を発表した。対米関係が徐々に改善されていくことに期待していた隊員たちは、落胆するしかなかった。
大使館人質事件が遺恨
「ガセムが正しかったな。アメリカ人を信じるべきじゃなかった」とハサンは言った。
当初から核合意の先行きを危惧していたガセムも、それ見たことかと喜ぶ代わりに、こう指摘した。「仲間たちがイランの核合意を支持したときに見落としていたのは、革命でイランから追い出されたことを根に持つ勢力が米政界の主流にいる事実だ。革命直後の在イラン米大使館人質事件は、彼らにとって飼い犬に手をかまれたようなものだった。アメリカが望んでいるのは、われわれの全面降伏だ」
「どちらの国にも、新たな関係を築こうとする人はいる」とガセムは続けた。「しかしアメリカのオバマ派もイランのロウハニ派も、所詮は政界の一勢力にすぎない」