アッバス議長顧問「パレスチナ和平に日本も一役買ってほしい」
――パレスチナ問題を一言で表現するなら?
パレスチナはわれわれの国であり、また手放すつもりは絶対ありません。われわれが望んでいるのはイスラエルを追い払うことではなく、むしろイスラエルとともに平等で平和な暮らしを実現することです。
かつて150万人だったパレスチナ人の人口は現在、国内だけで660万人に上り、海外で暮らす難民を含むと1260万人以上になります。そのうちの160万人がイスラエル国籍を持ち、イスラエル社会の一員として暮らしています。われわれはイスラエルと1つの国で暮らすか、パレスチナとイスラエルの2つの国で平和に暮らすかのいずれかの選択を受け入れ、パレスチナでの和平を実現したいと思っています。一方、イスラエルはパレスチナの全てが自分たちのものだと主張し、われわれの領土をどんどん盗み、われわれを追い出そうとしているのです。
――トランプ米大統領はエルサレムをイスラエルの首都として公式に認定するとしましたが、パレスチナ市民の反応は極めて冷静だった印象があります。80年代のようにインティファーダーが起こったわけでもない。パレスチナ人の抵抗のスタイルは変わったのでしょうか。
私たちはトランプ大統領とその決定に対して、最大限の表現と行動で「NO」とはっきり拒絶しました。現代史においてもアッバス議長のように、イスラエル首都認定というアメリカの決定を拒絶したパレスチナ元首はいません。
――今後のイスラエルとの和平交渉で期待できる人物は?
残念ながら1人もいません。かつてはイツハク・ラビン元首相のような平和を愛した人間もいましたが、彼が(95年に)暗殺されてから、またイスラエルでベンヤミン・ネタニヤフが(09年に)政権を取って以降はその面影もありません。
――日本はかつて宿敵だったアメリカと同盟国となった、数少ない例の1つです。将来、パレスチナとイスラエルが、アメリカと日本のように友好的なパートナー関係を築く可能性はあると思いますか。
もちろんその可能性は大いにあります。かつて、そういう可能性を思わせるところまで近づいた時期もありました。(オスロ合意のあった)93年から96年まではパレスチナ人とイスラエル人が行き来していましたし、ガザ地区とその周りのイスラエル入植地の家族が交流し、お互いの子供たちがホームステイしたりもしていた。平和実現まであと一歩のところでした。
――日本の若者に伝えたいことはありますか。
私たちパレスチナ人はあなたたちのことをもっと知りたいですし、お互いに知的な関係を築いていきたいと望んでいます。
80年代は、経済発展を成し遂げた日本の話題で世界中のマスコミが湧いていました。それを見た私は、ひょっとして、これから私たちの目指すべき新しいモデルとなるのは日本なのかもしれないと思い、日本に関する本を片端から読み漁り「日本」という国を勉強しました。私は、アラブ人が日本のようなユニークなモデルを検証し、学ぶべきだと昔も今も思うのです。
パレスチナ人は和平実現を心から望んでいると、想いの詰まった彼の言葉からはひしひしと伝わってくる。司馬遼太郎は著書『この国のかたち』(文芸春秋)で「日本史には英雄がいないが、統治機構を整えた人物はいた」と記している。
今のパレスチナに必要なのは英雄になれる人物よりも、パレスチナ和平と国家樹立に向けたマスタープランを作り、統治機構を整えられる力なのかもしれない。和平実現やその先の自立した経済などさまざまな課題について自ら備えを用意し、多元的権力構造の新たな世界で多くのパートナーとの協力関係を力にして、確実に和平を実現してほしい。
【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター准教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。
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