シリアでも混乱を助長するだけだったサウジアラビアの中東政策
反体制派の全体会合を主催したが矛盾した決定を下す
ロシア、イラン、トルコ、米国、シリア政府がコンセンサスに達するなか、対応を迫られたのが反体制派の統合に尽力してきたサウジアラビアだった。
反体制派は、依って立つ理念やイデオロギー、活動拠点、指導者間の個人的不仲などにより離合集散を繰り返してきた。ジュネーブ会議においては、リヤド・プラットフォームのほかに、カイロ・プラットフォーム、モスクワ・プラットフォームと呼ばれる派閥が代表団を派遣していた。モスクワ・プラットフォームは、ロシアの後押しを受けるカドリー・ジャミール前副首相(人民意志党代表)によって主導されていた。一方、カイロ・プラットフォームは、エジプトを活動拠点とする活動家からなり、そのなかには、シリア・ガド潮流代表のアフマド・ウワイヤーン・ジャルバーがいた。ジャルバーは米国が支援するロジャヴァの武装部隊である人民防衛部隊(YPG)とラッカ市解放戦で連携したシリア・エリート部隊を率いる一方で、緊張緩和地帯設置に向けたロシアと反体制派の折衝を仲介した人物だ。
サウジアラビアは、最高交渉委員会が結成された2015年12月の会合後も、2017年8月に調整会合(リヤド1会合)を開催し、反体制派の政治ヴィジョンの統一や統一代表団の結成を促していた。シリア諸国民大会に加えてジュネーブ会議(ジュネーブ8会議)の開催準備が進められるなか、同国は、今度は「リヤド2会合」と称される反体制派の全体会合を主催した。
11月22〜23日に開かれたこの会合は矛盾した決定を下した。リヤド・プラットフォーム、モスクワ・プラットフォーム、カイロ・プラットフォームの各代表に無所属活動家を加えた出席者約140人は、閉幕声明でシリア政府との「無条件の直接交渉」に応じると確認する一方で、「移行プロセス開始時にアサド政権が退陣しなければ、政治移行は実現しないと強調する」と表明したのだ。だが、その真意は、政権退陣の有無にかかわらず、無条件で交渉に応じるというものだった。政権退陣は、もはや現実味のない単なる意見表明に過ぎなかった。
会合開幕直前の20日に、政権退陣をもっとも声高に主張していた最高交渉委員会の代表(総合調整役)のリヤード・ヒジャーブ元首相と主要幹部8人が脱会を宣言したのは、おそらくはこうした結果がサウジアラビアによって予め用意されていたからだった。閉幕後にムハマド・ビン・サルマーン皇太子がロシア大統領特使と会談したこと、そしてロシアのセルゲイ・ラヴロフ外務大臣がサウジアラビアの取り組みを称賛したのも、そのためだった。
混乱を助長するサウジアラビアの中東政策
シリア内戦の政治的解決に向けて、ロシアに擦り寄ったサウジアラビアだが、それによって得たものはなかったと言ってよい。リヤド2会合の閉幕声明では、サウジアラビアの意を汲むかたちで「国家テロ、宗派主義的外国人民兵のテロなどのテロを拡散しようとするイランの役割を拒否する」という文言が盛り込まれはした。だが、それだけだった。サウジアラビアには、自らの体面を保ち、シリア内戦の「負け組」となるのを避けるため、反体制派に不本意な和平プロセスへの参加を促し、シリア政府優位のもとでの政治的解決に貢献することしかできなかった。
シリア内戦においても然り、11月初めのレバノンのサアド・ハリーリー首相辞任騒動においても然り、サウジアラビアの中東政策、とりわけ東アラブ地域政策は、混乱を助長することはあっても、その正常化や安定化に積極的に貢献しているようには見えない。リヤド2会合閉幕声明に盛り込まれたイランへの敵意表明は、サウジアラビアにとって、自らの無策を覆い隠すことができる最後の口実かもしれないが、こうした姿勢こそが中東で混乱を再燃させる主因でもあるのだ。