国際社会が使い捨てたクルド人と英雄バルザニ
バルザニの影響力がピークに達したのは、恐らく2014~2016年だろう。2014年にISISが広大な支配地域を築いたイラク北部で、ペシュメルガはISISを撃退した。彼らは当時、イラクでISISを倒せる唯一の戦力と見られていた。
バルザニは「ISISの息の根を止める」と誓い、ISIS掃討作戦の行方を左右する人物として注目を集めるようになり、2014年には米誌タイムが選ぶ「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」の候補者にまでなった。最終的には選ばれなかったが、タイムはバルザニをこう称えた。「ようやく逆境から救われたかに見えるクルド人の歴史が、彼の人生に凝縮されている」
バルザニの親族は自治政府の要職に就き(息子のマスロア・バルザニもKDPの有力者だ)、その汚職や縁故主義は長年批判の的だった。一方で、ゲリラ戦闘員としての戦歴や、クルド人の利益を一貫して擁護する姿を見てきた数百万人のクルド人にとって、バルザニはまさに英雄だった。
だがクルド独立という悲願実現に突進した結果、バルザニは辞任に追い込まれた。9月の住民投票では圧倒知的多数のクルド人が独立に賛成したが、敵対するアラブ諸国はもちろん、対テロ戦争ではクルド人の力を借りたアメリカや、それまで比較的良好な関係を築いてきたトルコも反対した。バルザニはそうした反対を押し切って住民投票を強行したことで、イラク政府による激しい報復を招き、2014年にISISを撃退してから自治政府が掌握していたイラク有数の油田地帯キルクークをイラク軍に制圧されたうえ、ISISから奪還した支配地域のほとんどを失った。
絶好のチャンスが台無しに
バルザニが無謀で愚かな行動に先走ったせいで、イラクのクルド人の長年の悲願である独立実現に向けた絶好のチャンスが台無しなったと、国際社会は批判するだろう。だがクルド人の多くは、別の見方をするはずだ。クルド人にしてみれば、批判する対象はバルザニでなく、国際社会だ。クルド人を利用するだけ利用しておいて、最後に見捨てたのだから。
奇しくもバルザニが退任する1カ月前、クルド人民兵からPUKの指導者になり、2005~2014年まで新生イラクの大統領を務めたジャラル・タラバニが死去した。対立しながらもクルド人の自治権拡大を実現した2人が政界を去り、クルド人の一つの歴史が幕を閉じた。イラクだけではない。シリア、トルコ、イランでも、新世代のクルド人に待ち受けているのは、険しく、先の見えない未来だ。
(翻訳:河原里香)