欧米で報道されない「シリア空爆」に、アメリカの思惑が見える
だが「誠実なムジャーヒディーン」との共闘を標榜していた新シリア軍は、アサド政権との戦いで劣勢を強いられるようになったヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動との連携の是非をめぐって内部対立をきたし、イスラーム過激派に共鳴するアサーラ・ワ・タンミヤ運動が「方針の違い」を理由に8月に離反したことで衰退した。
2017年に入ると、今度は「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室という名の連合組織が出現した。この組織には、アサーラ・ワ・タンミヤ戦線の系譜を汲む東部獅子軍のほか、アフマド・アブドゥー軍団、カルヤタイン殉教者旅団、革命特殊任務軍、部族自由人軍が参加した。「ハマード」とは、シリア南部、ヨルダン東部、イラク西部にまたがる砂漠地帯の呼称である。
「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室は3月、シリア政府とイスラーム国に挟撃されていたダマスカス郊外県東カラムーン地方の反体制派を解囲するとして、ダマスカス郊外県東部、ヒムス県南東部、スワイダー県北東部に拡がる砂漠地帯に進攻し、イスラーム国を放逐した。そして5月に入ると、革命特殊任務軍が、ダイル・ザウル県南東部のユーフラテス川河畔に位置する国境の町ブーカマール市からイスラーム国を掃討すると主張し、米英ヨルダン軍地上部隊とともにタンフ国境通行所からシリア政府支配地域に向け北進を始めた。
アサド政権はこの動きを容認しなかった。同政権は、シリア領内での米英ヨルダン軍の活動に警戒感を露わにするだけでなく、「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室が掌握するはずだった旧イスラーム国支配地域の多くの地域を手中に収めていった。また、5月中旬になると、シリア軍、共和国護衛隊、ヒズブッラーの武装部隊、イランの支援を受けた民兵を増派し、タンフ国境通行所の北約55キロの地点に位置するザルカ地区(ヒムス県)、南西約130キロの地点に位置する丘陵地ズィラフ・ダム地区(ダマスカス郊外県)を制圧し、これが今回の有志連合の空爆の引き金となったのである。
CENTCOMはこの空爆が「親体制部隊」(pro-regime forces)の車列に対する威嚇行為だったと発表した。だが、シリア軍は砂漠地帯の拠点が標的となり、多数の兵士が死傷したと反論、シリア人権監視団も「非シリア国籍の外国人」8人が死亡したと発表した。
新たな段階に入った「テロとの戦い」
4度目となる有志連合の軍事攻撃は、米国の支援を受けたYPGが主導するシリア民主軍によるラッカ市解放が現実を帯びるなか、シリア国内でのイスラーム国に対する「テロとの戦い」が新たな段階に入ったことを示している。
この段階とは、イラク領内のイスラーム国の牙城であるアンバール県に接するダイル・ザウル県の領有権をめぐるアサド政権と米国の妥協なき争奪戦である。2015年11月以降、イスラーム国の包囲に曝されているダイル・ザウル市の解囲と油田地帯を擁する同市周辺地域の奪還は、アレッポ市解放に次ぐアサド政権の悲願だ。一方、ダイル・ザウル県での「テロとの戦い」の主導権を握ることは、ラッカ市解放後の米国が対シリア干渉政策を正当化し、イスラーム国を壊滅に追い込んだ「最強の勝者」であることをアピールするうえで不可欠である。