トランプは「台湾カード」を使うのか?
中国共産党系新聞の環球時報は、中国の厳粛なる領土主権の問題を「商売の取引に使うな」と批判。ネットユーザーのコメントには「商売人はやはり商売人」「言うことをコロコロ変えるから、次は何を言うかは分からない」といったものが目立つ。尖閣問題の時のような反日に燃え上がる激情的なものとはニュアンスが異なる。
CCTVは、トランプ次期大統領の言動は、1979年以来築き上げてきた米中関係を破壊するものであるとした上で、彼の周りには反中右翼が多いので、その影響を受けており、実際に大統領に就任したあとも同様の政策を採るか否かは不明だとしている。もし続行するなら、戦争といった深刻な事態にもなりかねないと、評論家が警告した。
"一つの中国"原則はいかにして創られたのか?
では、"一つの中国"原則は、いかにして創られたのか、少しだけ詳細に見てみよう。
日中戦争が終わった後、蒋介石(国民党)がトップリーダーであった「中華民国」を倒そうと、毛沢東(中国共産党)が革命(反乱)を起こし、国共内戦が始まった。内戦に勝った毛沢東は、1949年10月1日に中華人民共和国誕生を宣言。蒋介石は同年、台湾に「遷都」し、台北を「中華民国」の臨時首都として、広大な大陸を含めた国土を「一つの中国」とみなす「大中国政策」を実施した。「中国を代表する国家は中華民国のみである」ことを絶対的な政治基盤としていた。
一方、中国大陸の北京政府は、「中華民国を倒して中華人民共和国が誕生したのだから、元中華民国であった領土は、すべて中華人民共和国のもの」として「一つの中国」を主張。
「中華民国」は第二次世界大戦で連合国側としてアメリカとともに日本と戦っているので、国連には「中国」を代表する国として加盟し、安保理常任理事国でもあった。
ところが、泥沼化したベトナム戦争からの撤退を選挙公約にして当選した共和党のニクソン大統領(1969年~1974年)は、北ベトナムを応援し中ソ対立を抱えていた北京政府に接近し、大統領としての地位を固めようとしたのである。そのため北京政府が主張する「一つの中国」を選択し、中華人民共和国が唯一の「中国」を代表する国家として国連加盟するに至る。
このとき、同盟国であった中華民国にも知らせず米中が接近したことを知った蒋介石はアメリカに裏切られたと激怒して、国連から脱退してしまう。日本にも知らせなかったのは、共和党の大統領としての地位を確保するため、民主党に知られ、出し抜かれたくなかったからだと追われている。