「ドナルド・トランプの世界」を読み解く
能力、資質、人間性を兼ね備えていたにもかかわらず、その正反対の人物であるトランプに敗れたのは、長年付きまとったイメージに加え、戦術上のミスもあったかもしれない。選挙を通して、クリントンが唯一しなかったことは、既存の政治に「見捨てられてきた」と感じる有権者に寄り添わなかったことだ。
クリントンは従来の政治に取り残された国民に歩み寄ることをせず、代わりに彼ら・彼女らが熱狂的に支持する男への批判に明け暮れた。確かに、トランプ支持者の中には差別的で排外主義的な人もいた。それでも、トランプよりも自分こそがあなた方の不満に応え、生活を改善できる、というメッセージを打ち出すことはできたはずだ。
メディアも過ちを犯した。果たして、アメリカのメディアはどれだけフェアだったか。トランプが暴君のように振る舞い、大統領としての資質に欠ける男であり、クリントンが最も経験豊富な大統領候補だったことに異論はない。
米メディアが忘れた「原則」
しかし、どれだけトランプが醜悪な候補だったとしても、熱烈な支持者を引き付けていたのも事実だ。そうした支持者の声に、アメリカのメディアはどれだけ耳を傾け、彼らが生きる現実を真摯に見詰めただろうか。
「独裁者トランプ」の当選を阻止しなければ破滅的な結果を招きかねない、トランプがホワイトハウスの主になれば国家存亡の危機だ──こうした主張が生まれるのは無理もない。
だがそこに執着するあまり、メディアは「フェアネス(公正さ)」というジャーナリズムの大原則を見失ってしまった。健全な批判精神を保ちつつ、フェアであり続けることが、ジャーナリストには求められる。それを怠ったことで、メディアは自らが見たい「現実」にとらわれ、別の現実を見落してしまった。
アメリカの新聞は、民主・共和のどちらかの大統領候補について支持を表明する。これは、報道の現場である編集部からは独立した論説委員が独自の権限で行う。論説委員が一方の候補に支持表明をしても、報道の現場はあくまでもフェアであり続けるものだ。しかし、今回の選挙ではこの原則が崩れた。現場の記者や編集者も、論説委員と一体化した感が否めない。
一部の米メディアは選挙後、自国民の思いや考えを読み切れなかったことを猛省している。しかし、中には開き直り、トランプの支持者をさげすむような報道をしている新聞もある。「これほどアメリカ人がばかとは思わなかった」と言わんばかりの論調を今も続けているメディアもある。
そんな思い上がったエリート主義こそが、自らの「願望」を押し付け、困難な状況に置かれた人々を遠ざけた。現実から目をそらし続けたことで、アメリカ社会の趨勢を見誤った。
今回の選挙ではさまざまなメディアがビッグデータを駆使し、結果の予測を試みてきた。結果論だが、これも大きく外れた。選挙中、ニューヨーク・タイムズ紙の電子版はクリントンが当選する確率を93%と連日掲載し続けたが、開票が進むとあっさりとトランプの当選確率を95%と翻した。
人の行動は、数字やデータで表し切れないことを、まざまざと見せつけた選挙と言える。血の通った、感情やさまざまな思いのある人間の行動を「データ」で完全に予測できると考えていたとしたら、傲慢のそしりは免れない。
トランプとどう向き合うか
アメリカと世界を困惑させ続けるトランプと「トランプ主義」を読み解く上で、1つのヒントがある。ワシントン・ポスト紙のメディアコラムニスト、マーガレット・サリバンによると、IT起業家・投資家でトランプ支持者のピーター・ティールは最近、講演でこう語ったという。
「メディアはトランプの発言を言葉どおり受け取るが、彼の存在を真剣に受け止めようとしない」
サリバンは書く。メディアとは逆に、多くの有権者はトランプという存在を真剣に受け止め、彼が発する言葉はそのまま受け取らない、と。例えば不法移民対策。「メキシコとの国境沿いに壁を造る」とトランプが言うと、支持者はそれを額面どおりに受け取らず、「より理性的で、理にかなった移民政策が生まれる」と感じるのだという。
これを「無知」「低学歴」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、トランプの言葉が彼らの心に響いたことは厳然たる事実だ。