近年最悪の緊張状態にあるカシミール紛争
そもそもカシミール紛争とは何か? たびたび現地に赴き、長期に渡って取材を重ねてきた筆者が、ここで簡単に説明したい。
インドとパキスタンの北部に広がるヒマラヤ山脈に近いカシミール地方は、1947年の印パ独立の際に、インド側カシミール(インドのジャム・カシミール州)とパキスタン側カシミール(パキスタンのアザド・カシミール准州)に分断された。イスラム教徒が大多数を占めるインド側のカシミールは、ヒンドゥー教徒の多いインドからの分離独立を目指している。イスラム教徒が多いインド側カシミールを取り戻したいイスラム教国のパキスタンは、過激派を政府として支援・動員して、インド側カシミールに駐留するインド兵や治安部隊への攻撃を行ってきた。反対にインド兵などは、カシミールのイスラム教徒を厳しく弾圧し、殺人や暴行など酷い扱いも繰り返してきた。これが今日まで続くカシミール紛争だ。
ちなみにインドでは「軍事特別法」と呼ばれる法律が1990年から施行されている。この法律は、カシミールに駐留する軍や治安部隊の権限を大幅に拡大するものだ。必要があれば、殺害、捜索、逮捕を、法的な手続きがなくても行なえるようになっており、これがインド治安部隊による弾圧につながっているとスリナガル市民は声を揃えて指摘する。
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もうひとつ特筆すべきは、独立から4度の戦火を交え、ずっとライバル関係にあるインドとパキスタンは、どちらも核保有国である点だ。印パが本気で戦争することは避けなければならない。その一方で、両国が核保有国であることが、戦争には突入しない抑止力になっているとの指摘もある。英フィナンシャルタイムズ紙は、匿名の欧米政府関係者による「(印パは)戦争に突入する前に10回は考え直すだろうと考えられる」という言葉を引用している。
実は、インドで新政権が誕生し、印パがカシミール問題などで多少でも歩み寄りを見せると、パキスタン軍が反発に動くということを繰り返してきた歴史がある。2007年にはパキスタンのパルベス・ムシャラフ大統領(当時)とインドのマンモハン・シン首相(当時)が極秘の交渉を続け、カシミール問題が解決に過去最も近づいた。だがパキスタンで権力を誇る軍部がその取り組みを嫌い、2008年にパキスタン軍が支配する過激派組織ラシュカレ・トイバを利用してムンバイ同時多発テロを起こし、交渉を頓挫させた。パキスタン軍部はインドとの緊張関係を維持することで権力を維持しているとも批判されている。