変貌する国際都市ダブリンを行く
以前のケイペル・ストリートは性風俗の街だったが、今では高級料理の中心地に変わりつつある。エリザベスに案内してもらったカメリーノは、ブラザー・ハバードと目と鼻の先にあるケーキとパンの店。イタリア系カナダ人のカリーナ・カメリーノが14年末にオープンした。
「最初は焼いたケーキを週末のマーケットで売っていた」と、カメリーノはカウンター越しに言った。店のケーキとパンはすべて裏の工房で焼いている。
グルメブームは、観光産業の急激な変化の副産物だ。30年前は観光客の7割がイギリス人がだったが、今は3割に減った。
かつてアメリカ人観光客の4分の3は友人や親戚を訪ねる人々だったが、今はアイルランドにルーツを持たないアメリカ人が大半を占める。つまり郊外の親戚の家ではなく、ダブリン市内に4万8000軒あるホテルのどこかに宿泊する人々だ。
ダブリンの観光名所が集中するリフィー川の南に戻り、かつて製革業と毛織物業の中心地だったリバティーズ地区へ向かった。目的はジャック・ティーリングに会うことだ。
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ダブリンの復活は本物だと確信したティーリングは昨年、市内では125年ぶりとなる新規のウイスキー蒸留所をオープンした。このティーリング・ウイスキー社は、蒸留所であると同時に観光スポットでもある。
ティーリングによると、開業1年目の見学客は4万人。施設内にはレストランと試飲室に加え、ウイスキーと自社ブランドのTシャツ、エプロン、ママレードを販売するショップもある。
「今のダブリンの象徴になるような事業を始めたかったんだ。おしゃれでハイテクな国際都市のね」と、ティーリングは言う。
カーニーが『スイング・ストリート』で描いた時代から、ダブリンは劇的な変化を遂げた。その様子を自分の目で確かめることは素晴らしい経験だ。
それでもダブリン最後の夜は、エンジャー・ストリートのスワンで伝統のギネスビールを味わうことにした。ここは市内で最も古いビクトリア朝風パプの1つ。1杯のギネスは、古いダブリンもまだまだ捨てたものではないことを教えてくれる。
[2016年9月 6日号掲載]