援助職員の死が教えるアフガンの危険度
非武装で活動する多くの外国人メディアや援助ワーカーが命がけの日々を送っている
重過ぎる教訓 リンダ・ノーグローブの死はアフガニスタン在住の外国人に衝撃を与えた Reuters
歯磨き粉、タオル、ブルカ、防弾チョッキ──。私は荷物リストを厳しく点検した。今回の行き先は、不安定な情勢が続くアフガニスタン南部。大量の装備が必要だが、荷物が重すぎて数歩しか歩けない。結局、防弾チョッキは置いていくことにした。
アフガニスタンで取材活動をしている私は通常、軍に同行せず、個人で動くか、民間の交通手段を利用している。行動の自由を確保でき、地元住民と接触しやすいので記事を書くのに便利だし、カブール駐在の外国人が集まる夜の社交場で自慢話のネタにもなる。
だが先月、アフガニスタン東部のクナル州でイギリス人女性リンダ・ノーグローブがタリバンとみられる反政府勢力に拉致されると、アフガニスタン在住の外国人コミュニティの緊張が一気に高まった。そして10月8日、救出作戦中に彼女が死亡すると、緊張は衝撃に変わった。リンダはここの「常連」で、私たちの多くがさまざまな場で彼女と顔を合わせていたのだから。
(編集部注:イギリスのデービッド・キャメロン首相は11日に、ノーグローブの死因は米軍が投げた手榴弾だった可能性があると語っている)。
私たちの多くと同じく、リンダも非武装の車両で目立たないように行動していた。同行したのは運転手2人とボディーガード1人だけで、リンダはブルカで変装していたとされる。
彼女が所属していた途上国支援のコンサルティング企業DAIは、民間警備会社エジンバラ・インターナショナル(EI)と大型契約を結んでいた。ナガルハール州ジャララバッドからクナル州アサダバッドに続く国内有数の危険な経路を通るのに、リンダはなぜEIの装備や警備員を利用しなかったのだろう。その理由は明らかではないが、彼女自身の選択だった可能性はある。
ブルカを着た途端まるで犬扱い
私も、どうしても移動しなければならない状況を何度も経験した。2005年12月、クリスマスをアメリカで過ごす予定だった私は、フライトの前日にカンダハルで足止めを食らった。カブール行きの国連の飛行機がキャンセルされてしまったのだ。追い詰められた私は分別を失い、もう1日カンダハルに留まってフライトを手配し直す代わりに、タクシーでカブールの自宅に向かうと言い張った。今ほどではないが当時も治安はかなり悪く、タリバン兵が路上をうろつき、国際機関の車両や政府関係者を狙った爆発テロが仕組まれていた。
「護衛役」として私に同行したのは、憐れなアフガニスタン人の同僚アジズだけ。アジズは誰かに頼んで市場で私に初めてのブルカを調達してくれたが、帽子が小さすぎて目を覆うはずのメッシュ部分がおでこに引っかかってしまった。何も見えず、息をするのも大変で、ブルカのせいで人格のない奴隷になったように感じた。
ブルカの影響力が最も顕著に表れたのは、アジズの態度だった。私と彼は長年共に仕事をしてきた友人であり同僚だったが、私が青いナイロンのブルカを身にまとった途端、彼はまるで犬を相手にしているかのように私に命令しはじめた。
「後部座席に座って、何もしゃべるな」と、彼は吐き捨てるように言った。「手を隠せ。そんな白い手が見えていたら、お前が俺の母親だなんて言えるわけがないだろう」
幸い、冬だったので、足には靴下を履いていた。私は家に着くまでずっと、ブルカの中に注意深く手を隠していた。
カンダハルからカブールへ向かうハイウェイを走る6時間の間に、タリバンや警察、通行料をせしめたい民間の検問サービスまで多くの検問所で何度もストップさせられた。誰かが後部座席を覗き込むたびに、アジズは自分の身内だから起こすな、と怒鳴り声を上げた。