男性が作る世界のルールを、女性の言葉が書き換える──映画『ウーマン・トーキング』が描く、希望とその代償
Women Rewriting the Rules
男たちの横暴に終止符を打つために共同体の女性たちは議論を重ねた ©2022 ORION RELEASING LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
<実際に起きた連続レイプ事件をベースに、女たちの言葉による闘いを描く『ウーマン・トーキング』>
言葉は重要だ。言葉があればこそ私たちは経験を表現し、自らの物語を伝え、世界の中での居場所を確認できる。
言葉には語る力が伴う。何かを代弁し、何かを訴える力。そして不正を指摘し、新しい未来を想像する力だ。
サラ・ポーリー監督の新作『ウーマン・トーキング 私たちの選択』では、言葉が主役だ。女性たちが暴力を受けた体験を語り、男性の横暴に終止符を打つ未来を思い描くための言葉を見つけ出す。
原作となったミリアム・トウズの同名小説と同じく、映画は南米ボリビアのキリスト教メノナイト派の共同体で実際に起きた女性への連続レイプ事件をベースに、それに対する女性たちの反応(この部分はフィクション)を描く。
映画はほぼ全編が、一つの納屋を舞台にしている。そこで女性たちは秘密の集会を開き、共同体に残るのか去るのかを決めようとする。タイムリミットは、男たちが街へ出かけている2日間だ。
しかし、彼女たちは読み書きができない。そのため集会の細部を記録するのが難しい。この設定は観客に、言葉の持つ「排除」の力を思い起こさせる。言葉は男性が作ったから、作った者たちに奉仕する。
書き言葉と同じく、映画も長いこと男性の領域だった。女性はクリエーティブな分野の重要な役割から構造的に排除され、今も監督やプロデューサーでは少数派だ。ただし『ウーマン・トーキング』は、監督、脚本、製作をほぼ女性が担当している。
映画製作では、自宅から離れた場所で厳しいスケジュールの下に撮影を行うことが珍しくない。だから家族の世話役(たいていは女性)が監督を務めることは難しい。
家父長制社会と暴力と
3人の小さな子供がいるポーリーは、脚本だけを書き、製作は任せるつもりだった。だがプロデューサーのフランシス・マクドーマンドとディディ・ガードナーが、彼女に監督をやってほしいと望んだ。
ポーリーが監督を務められるよう、3人はこれまで映画製作を支配してきた男性的なルールをフェミニストの視点から書き換えた。仕事は1日10時間までと決め、俳優とスタッフがきちんと休めるようにした。セラピストを雇い、撮影中は現場に常駐させた。
ポーリーは観客にも同様の配慮をしている。連続レイプ事件の残酷さを長々と描くことはなく、事件へのさまざまな反応に等しく光を当てた。
ポーリーは本作の舞台を特定しないことを選んだが、事件の起きた年は2010年と明確にしている。それは、一連の暴力を特定の文化や宗教の産物と位置付けるのではなく、今も残る家父長制社会が女性への暴力に加担していることを観客に認識してほしいためだ。
最近のインタビューでポーリーは、#MeToo運動に触れた。彼女は、この運動が問題の大きさを明らかにしたことは確かだが、「無力感と怒り」にとらわれず、「来るべき未来を思い描く」ことが重要だと語った。
本作は暴力のない未来を想像することの可能性と難しさを、スクリーンの内外で探求している。集団で行動することの難しさと連帯の美しさの両方を捉えている。そして観客に希望を与えながらも、その代償として必要な闘いと犠牲があることを思い出させる。
Helen Warner, Lecturer in Cultural Politics, Communication and Media Studies, University of East Anglia
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
WOMEN TALKING
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』
監督╱サラ・ポーリー
主演╱ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー
日本公開は6月2日