ブリトニー・スピアーズ、最悪の独占取材を経験した記者が語る2007年の真実
I Saw the Britney Circus
邸内ではスタイリストが激怒していた。ブリトニーがドレスの1枚に食事のチキンの油染みを付け、彼女の犬が別の高価なブランドもののドレスに「粗相」をしたのだ。
散々話し合った末、撮影できた数枚の写真や断片的なインタビューは脇に置き、私自身の視点で当日の出来事を語ることになった。「かつてのブリトニーに戻ってきてほしい」。そう記事に書いたことを覚えている。「だが私たちが目にしたのは、助けが必要な1人の若い女性だった」
私の記事が掲載された号はその年最も売れたものの1つになり、すぐに競合メディアが内容を詳しく報じ始めた。他誌の記者から問い合わせの電話が相次ぐなか、1時間ごとに着信をボイスメールに転送するのが私の習慣になった。
突然、実現しなかったインタビュー自体がニュースのネタになった。以前は相手にされなかったパブリシストやエージェントが「あのブリトニーの記事を書いた人」として私を紹介するようになった。
テレビのトーク番組にも引っ張りだこになり、法律的に許された範囲内で、ブリトニーと過ごした短い時間の詳細を語った。彼女の一挙手一投足をめぐる大騒動の恐ろしい実態が(ほんの一部とはいえ)私にも見えてきた。
ようやく彼女の言葉が人々に届いた
ブリトニー級のセレブは、何人もの広報担当者やマネジャーにがっちりと守られているのが普通だ。それなのに、独りで苦闘しているようなブリトニーの様子を目にするのがつらくなり始めた。周りにいるのは、彼女のためを思っているとは限らない「友人」だけ。一部のパパラッチが彼女と「関係」を築いているのも気掛かりだった。
だが、多くの人は気にしていないようだった。「ブリトニーのサーカス」は収益性抜群だったからだ。それはウェブサイトや新聞・雑誌にとって巨大ビジネスであり、誰も認めたがらない付随的損害として、本人の心身の健康がむしばまれているように思えた。
08年1月、ブリトニーがカリフォルニア州法の下で精神鑑定などのために強制入院した際には、トーク番組『ラリー・キング・ライブ』のゲストに呼ばれた。偉大なキャスターの故キングは、ブリトニーの「友人」と私を紹介した。
最終的に一連の体験は、ショービジネス業界の基準に照らしても、極度の偽りに満ちたものに化した。私が数々のテレビ番組に出演することになったのは、ブリトニーの実生活での苦しみが理由だった。
確かに、大物セレブが抱える問題が公の場で、あんな形で繰り広げられるのは前代未聞だった。だが、それは時代の象徴だったと思う。当時は次の「衝撃のニュース」を追い求めるだけで、彼女のメンタルヘルスは二の次だった。
幸いなことに、今では私たちの見方も態度も変化した。
勇敢にもブリトニーは6月23日、成年後見制度の解除を求めた裁判の審理で初めて証言した。彼女の声がようやく、彼女が望む形で人々の耳に届いていることに慰めを感じる。たとえ10年以上、遅れたとしても--。
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