誰が歌姫ブリトニーを追い詰めたのか
A Victim of Misogyny
ここにも女性嫌悪は潜んでいたが、攻撃の対象は主に下層階級を連想させる振る舞いだった。
夫のケビン・フェダーラインはティンバーレイクと比較され、粗野なヒモ男の烙印を押された。育ちのいい女はこんな男と結婚しないし、みっともない格好で人前に出ないと、スピアーズは断罪された。
完全な犠牲者扱いは不当
スピアーズが成功者だという事実も、センセーショナルな報道をあおった。どんな贅沢もできるスターがなぜだらしない姿をさらし、一度上った社会のはしごを自ら下りるのか。頭がおかしい証拠だと、メディアはあざ笑った。
『フレーミング』が配信されると、ツイッターでは00年代のメディアと大衆がいかに有名人を虐げていたかが話題になった。実際、セレブへの態度は様変わりした。無遠慮なのぞき趣味は影を潜め、人々はより純粋な憧れを向けるようになった。
セレブ自身が情報を発信し始めたのは大きい。SNSを通じて傷心や悩みを打ち明けるセレブに、私たちは生身の人間らしさを感じ、思いやりを抱いた。
『フレーミング』に難があるとしたら、思いやりがあり過ぎる点だ。番組はスピアーズをタブロイドの暴走を許した低俗な世相の犠牲者として美化する。犠牲者なのは確かだが、彼女がそんな世相を自在に操った時代があったことを伝えないのは不公平だ。
世間の期待に応えつつイメージをコントロールできてこそ、一流のセレブ。至難の業だが、かつてのスピアーズはいとも簡単に自分のイメージを操っていた。それこそ計算も作為も感じさせずに──。
デビューから4年ほど、少女でも大人の女性でもない領域にいた頃の彼女は、自分に向けられるみだらな視線を巧みにかわし、利用した。
2000年のMTVビデオ・ミュージック・アワーズでは世間の病的な好奇心を逆手に取り、ぎりぎりの清純さを保ちつつストリップ風のショーを演じた。翌年はセクシー路線を推し進め、大蛇を体に巻いて「アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー」を歌った。
だが多分に女性蔑視的なメディア攻勢は、この時期激しさを増していた。私生活の波乱も相まって清純とセクシーのバランスを取るのは不可能になり、評判は落ちていった。
それでもキャリアが地に落ちることはなかった。スピアーズが今も悲しい過去の人でないのは、かつてしたたかにイメージをコントロールし、トップアーティストとして時代の先を行っていた彼女を誰もが覚えているから。それがスピアーズのすごさだ。
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