官能写真の撮影は私にとって最高の癒やし
“I’m an Erotic Photographer”
体を使った表現はパンクな自己主張だと語るスタッグ David Byrd
<他人目線のポルノではなく自身のために撮り続けて>
私が初めて官能的な写真を撮ってみようと思ったのは、10代後半の頃。大学以降はエロチックな写真撮影にのめり込んでいったけど、まだ自分の写真をそういうふうに定義付けてはいなかった。
当時はよく友人たちを被写体にして、楽しみながら官能写真を撮っていた。でも彼らは必ず後で、「ネットに上げるのはやめて」と言ってきた。これはなかなか厄介だった。それこそが私の専門なのに。
そして2005年、私は「レズビアンのポルノ女王」ジャスティン・ジョリーに出会った。彼女は自分のウェブサイト用写真を撮影するカメラマンを探していた。あんな開けっ広げな人に出会ったのは初めて。彼女は私の写真の腕を褒め、友人たちに紹介したいと言ってくれた。
それがきっかけで私のキャリアは一変した。私は当時、彼女がどれほどのスターかを知らなかった。ジャスティン・ジョリーを撮ったことがあると分かると、モデルやポルノスターたちが次々と私を指名したがった。
ジャスティンやアダルト業界の女性たちと一緒にいると、ようやく自分の天職を見つけたような気がした。彼女たちはプライベートで楽しむためではなく、仕事で使うための写真を必要としていたから。15年前の当時は今のように、インスタグラムなどのSNSで簡単にモデルを探せる時代ではなかった。
モデルたちには最初に連絡するときに、ヌードになれるか、どこまでOKかを聞いて、完全に向こうの意思を尊重する。撮影では常に実験的な挑戦を心掛けている。でも私は、自分の官能写真はポルノとは別物だと思う。ポルノは見る人を興奮させるためのものだけど、私の写真は自分自身とモデルのためのものだから。私は自分自身を表現するために写真を撮っている。
選択こそがフェミニズム
フェミニズムは選択だと私は思う。フェミニストが体を使って表現することを選ぶのは、私からすれば最高にパンクな自己主張だ。
以前、あるモデルに髪を染めるべきだろうかと聞かれたが、私は絶対にそういう指示はしない。それは彼女の選択だから。豊胸手術をしたいと友人から相談されたら、自分のしたいようにすればいいと助言する。誰かのためではなく、自分のためなら賛成だ。