尊敬する人にストーカーされたら......「同意」に隠されたワナが女性を傷つける
Crossing the Line
引き裂かれた頭と心
いろいろな意味で、私は2人の人間だ。同じ体、同じ頭脳、 同じ心、同じ魂を共有する2人の女性だ。この2人は決して交わることのない別々な人生を送っている。公的な私は自信にあふれ、はっきりした物言いをし、有能な研究者であり、論文もたくさん発表している。
もう一人の私は表に出ない。精神が不安定で、20代前半に経験したことを恥ずかしく思い、自分も悪かったと思っていて、それが起きたこと、それが長く続くことを許した自分の役割に当惑している。
この女性の人生は、加害者の男によって取り返しのつかないほど傷つけられた。この男に自制心が欠けていたから、この男に不適切な行動を控える理性がなかったから、そして私にそれを拒む力がなかったからだ。
私は生き延びた者だが、被害者であり、これからも被害者であり続ける。こうした二重のアイデンティティーを持つ人々の代弁をすることはできないけれど、私自身について言えば、虐待を乗り越えた人間という称号を贈られた誇り高い人間でありたいと思う一方、常に怯え、苦しんでいる犠牲者たちの仲間でもあると感じている。
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自分は犠牲者ではないと主張することは、あの事件から20年が過ぎた今でも、結局は嘘になるだろうと思う。
私は世間に向かって声を大にして言うべきこと、そして自分が最もつらいとき自分自身に告げるべき真実を知っている。「悪いのは『彼』だ、それは彼が私に対してしたことであり、私自身を責めてはいけない」
私はこのフレーズを、セリフを覚える役者のように何度も練習した。それでもこの言葉が真実だと感じられるのはほんの一瞬で、たいていはどこかで居心地の悪さを感じている。
女は「同意」していない
「学生に同じような経験を打ち明けられたら、どう答えます?部分的にでも彼女に非があると言いますか?」
同僚や友人からそう問われたら、答えはもちろん「ノー」だ。 非はあなたにあると言うつもりは、みじんもない。その女性は完全に潔白だと、私は信じて疑わない。異論の余地はない。潔白の事実は揺るぎない。
ならばなぜ自分の場合は違うのか。なぜ私は恥ずべき被害者から誇り高き生存者に、すんなりと変われないのか。どうしたら引き裂かれた2人の自分に折り合いをつけられるのか。
無理かもしれない。
私たちの社会では少女や大人の女性に対するハラスメントや暴力があまりに頻繁に、当たり前のように、執拗に起きる。だからこそトラウマで人格が引き裂かれてしまう女性がいることに、思いを致さねばならない。何もなかったかのように生きるために、女たちが演技と嘘を学ばねばならないことを理解しなければならない。
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引き裂かれた頭脳と心を抱えて生きることがキャリアと私生活に及ぼす損失について、何年間も自分自身の身体が記憶の底に封じてしまう秘密について、悪いのは私だという思い込みについて、思い込みが女性の自意識と自分の本質を理解する能力に与えるダメージについて、知ろうとしなければいけない。
私たちは「同意」を単純なもの、「ノー」のひとことで片が付くものと思いがちだが、それは嘘だ。「ノー」で魔法のように他人の行動を止められるなら、教授の行為があんなに長く続いたはずはない。私の「ノー」には何の効き目もなかった。そのせいで多大な代償を払い、今も払い続けている。
あの体験から何か学んだとすれば、それは「同意」が途方もなく複雑で、常に確認し合わなければならないものだということ。当事者間に関係性がある場合はなおさらだ。
©2019 by Donna Freitas. Used with permission of Little, Brown and Company, New York. All rights reserved.
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[2019年10月15日号掲載]