私たちが大好きなジーンズは、東南アジアの劣悪な環境で作られている
The Real Cost of Your Blue Jeans
ニッチな繊維だったデニムに転機が訪れたのは1870年代。
仕立て屋のヤコブ・デービスが織物類の卸売りをしていたリーバイ・ストラウスに助けを求めた。金属鋲で補強した作業用ズボンを大量生産したいが特許取得に必要なドルが払えない。共同経営者にするから代わりに払ってくれないか──。こうして誕生したのがリーバイ・ストラウス社。今もジーンズの大部分をデザイン・販売する、史上最も成功した衣料ブランドの1つだ。
実用からファッションへ
1970年代、ジーンズ人気に意外な形で火が付いた──それもファッションストリートと呼ばれる、ニューヨーク・マンハッタンの7番街からだ。
女性解放運動とカジュアルファッションブームを受け、ニューヨークのデザイナーたちはデザイナージーンズというジャンルを考案。「ジーンズはセックスだ」とカルバン・クラインは言った。「タイトなほど売れる」
そこでクラインは80年、当時15歳の女優ブルック・シールズ をCMに起用。「私とカルバン (ジーンズ)の間に何があるか知りたい?」ジーンズとシックな色のブラウスを身に着けたシールズは脚を大きく開き、幼さの残る声で甘くささやいた。「何もないわ」。
CMはあまりに挑発的ですぐ放映禁止になったが、既に魔法は効いていた。クラインのジーンズはCM放映後1週間で40万本、その後は毎月200万本売れた。ジーンズの販売本数は81年だけで5億本に達した。
70年代まで、相当な数のジーンズが防縮加工していない硬いデニムでできていた。柔らかくするにははきまくるしかない。なじむまで丸6カ月。2~3年で裾やポケットの縁が擦り切れてくるか、膝の部分に穴が開く。布地は色あせて「ヒゲ」と呼ばれる筋状のはきジワがつく。最高にかっこいい状態にするには時間も手間もかかった。
だが 80年代にストーンウォッシングが普及。未加工のジーンズを工業用洗濯機に放り込み、軽石と一緒にデニムが擦り切れるまで回す。さらに酸やサンドペーパーややすりを使い、はき古した感じを出す場合もあった。「フィニッシング(洗い加工)」と名付けられたこれらの作業は「ウォッシュハウス」という広大な加工場で行われた。今では1日何千本ものジーンズの加工がウォッシュハウスで行われる。
ロサンゼルスなどの一部のウォッシュハウスは技術が非常に高く安全・環境基準も厳しいが、多くはそうではない。その一例を私は昨年4月、蒸し暑いべトナムのホーチミン市で目の当たりにした。