「人をイラつかせる何か」を持つヒラリー 22年も嫌われ続けるその理由
ヒラリーの特権意識に対するこうした嫌悪感には、22年前と共通するところもある。90年代のヒラリーは、チャールズ・ディケンズの小説『二都物語』で革命軍を操る悪役、ドファルジュ夫人に例えられることも多かった。大統領選では、無慈悲な貴族階級を象徴する王妃マリー・アントワネットに重ねて揶揄されたが、無礼な厚かましさへの反感は今も変わっていない。
ブッチャーの怒りは、ヒラリーがファーストレディーの典型的な役割から外れ、女性としての制約に背いたことに向けられているようにも聞こえる。しかし、彼女を嫌う人の大半と同じようにブッチャーも、自分がヒラリーを嫌いなことは、性別とは全く関係がないと強調する。「一切、関係ない。断じてない。絶対に」
そして、彼女を嫌う人の大半と同じように、彼女が女性の権利を主張することが、ブッチャーには腹立たしかった。「私は女性だから投票して、と言っているようなものだ。政治家として重要なことは何一つ成し遂げていないことは無視して、私は女性なんだから私に投票しなさい、と」
ブッチャーとロズナーの政治的立場はかなり違うが、ヒラリーに対する評価は驚くほど似ている。ロズナーも、ヒラリーが自分は女性だからという理由だけで投票してもらえると思っていることが、気に食わなかった。
「彼女は祖母であることをアピールしたが、私も祖母だ。別にたいしたことじゃない。彼女の夫は(ファーストレディーである)妻に大役を与えたが、彼女はうまく立ち回れなかった。彼女はミシェル・オバマ(前大統領夫人)にはなれなかった」
ヒラリーと違って、ミシェルは「ふさわしい場所でふさわしいことを語る」と、ロズナーは言う。「彼女は夫や子供たちを真剣に支えている。ホワイトハウスを去った後も、子供たちが転校しなくていいようにワシントンに残った。これは、たいしたことだ」
ロズナーは筋金入りのリベラルかもしれない。しかし政治心情とは、人間が本能的に抱く感情の全てを支配するわけではない。
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[2018年9月11日号掲載]