KATSEYEが韓国ハイブと米ゲフィンの手でデビュー、Kポップ流の美的センスで世界を狙う多国籍ガールズグループ
Reality TV Goes K-Pop
最後まで残った20人は、サバイバルオーディション番組『ドリームアカデミー』に出場して課題に臨む。視聴者投票とプロデュース側の審査によって最終的にメンバーが決まる仕組みだ。この手法では、視聴者が結果に対して主体性を持つだけでなく、デビュー前の時点でファン基盤を築き上げる効果がある。
こうしたアプローチは、韓国芸能界独特と言っていい。その目的は「各自の個性を称賛しつつ統一性を打ち出す」ことにあると、プロジェクトのクリエーティブディレクター、ウンベルト・レオンは語っている。典型的な役柄(優等生、反逆児、かわいい系など)を割り振られた、個々人の集合体という欧米のポップグループとは別ものだ。
とはいえグループ誕生までのプロセスは、00年~09年に放送された『メイキング・ザ・バンド』とよく似ている。バックストリート・ボーイズやイン・シンクの生みの親、ルー・パールマンが新たなボーイズグループ結成のため、アメリカ各地からメンバー候補を集める番組だ。
同様に、驚異的な6人組の米ポップグループ、プッシーキャット・ドールズの『新たなドールを探して』(07年)では、7人目のメンバー候補らが共同生活を送りながら生き残りを目指した。
業界の内側を描き出す
『ポップスター・アカデミー』の元ネタは、この手のリアリティー番組のサブジャンルだ。これらの番組でドラマを生み出していたのは、スターの座を求めて競い合い、仲間として要求されるサポート精神と、競争心の間で揺れ動く候補者たちの姿だった。
当然ながら、00年代の番組には大きな違いもある。リアリティー番組の黄金時代だった当時、オーディションに出場したのは10代の子供ではなく成人だった。複数の国から人材を募ることはなく、候補者と審査員の間の言語の壁を考慮する必要もなかった。メディアへの対応など、有名人であることの別の側面に気を配ることも少なかった。最大の違いは、ドキュメンタリーとオーディション番組の融合ではなかったことだ。