やはりスピルバーグは素晴らしい! リメイク版『ウエスト・サイド』の絶妙さ
West Side Story Today
スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』の 一場面。中央がトニー(エルゴート)とマリア(ゼグラー) ©2019 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
<『ウエスト・サイド・ストーリー』リメーク版はアメリカ現代社会が直面する諸問題を反映させ、「時代遅れの古典」から脱皮させたスピルバーグの名作>
もしもスティーブン・ソンドハイムが公開直前に死去(昨年11月26日、享年91歳)していなかったら、スティーブン・スピルバーグ監督によるリメーク版『ウエスト・サイド・ストーリー』(アメリカでは同12月10日公開)の受け止め方は違っていただろう。湿っぽさはなく、広く愛されながらも疑問の多いこのミュージカルに、辛辣な批評も聞かれたはずだ。
ソンドハイムもそれを望んでいたに違いない。生前、彼は自分の書いた詞を「若気の至り」で恥ずかしいと言っていたし、たまには他人(この場合は巨匠レナード・バーンスタイン)の曲に詞を付けるのもいいものだと師匠に諭されなければ引き受けなかったとも語っている。
だがソンドハイムの死を契機にミュージカルの歴史は見直された。『ウエスト・サイド・ストーリー(WSS)』を今──ブロードウェイでの初演から64年、ロバート・ワイズ監督らによる元祖映画版の公開から60年を経た今──新たに映像化したことの意味が問われているのも事実だ。
1950年代のニューヨークでの人種間抗争を背景にした悲恋の物語を21世紀の今になって撮り直すなら、誰が誰を演じ、どんな言語で歌うべきなのか。
そもそも半世紀以上前に4人の白人(ソンドハイムとバーンスタイン、脚本のアーサー・ローレンツ、振り付けのジェローム・ロビンズ)が生み出した作品を、またしても白人の男たち(スピルバーグと脚本のトニー・クシュナー、振り付けのジャスティン・ペック)が再解釈するのは適切だったのか。
ちなみにWSSの生みの親はロビンズだ。1947年、彼は普及の名作『ロミオとジュリエット』のニューヨーク版をやろうと思い立ち、バーンスタインとローレンツに協力を求めた。
当初は『イースト・サイド』だった
当初のタイトルは『イースト・サイド・ストーリー』。ロウアー・イーストサイドを舞台に、アイルランド系カトリック教徒の少年と東欧系ユダヤ教徒の少女の禁じられた恋を描くというのがロビンズの腹案だった。
だが完成した初稿はボツになった。かつての人気芝居『アビーの白薔薇』に、テーマも物語も似すぎていたからだ。この芝居は1922年に初上演され、その後もラジオの連続ドラマとして放送されたが、人種や民族に関する偏見を助長するとの抗議が出て45年に中止されていた。
そこで原案から宗教的な要素を削り、舞台をウエストサイドに移し、人種的な対立だけに焦点を当てた。その結果生まれたのが元祖ブロードウェイ版のWSSだ。
作中でいがみ合うのは、白人とプエルトリコ系の不良少年団。当時の現実を反映し、社会問題に「進歩的」な姿勢を示す狙いだったと思われる。ミュージカルの古典的スタイルと現代的スタイルを融合させ、ダンスを中心に据えたのも斬新だった。