『イエスタデイ』が描いたビートルズなき世界
The Song, Not the Singer
ミュージシャンのジャック(左)は数々の名曲を自作と称して大人気に ©UNIVERSAL PICTURES
<もしこの世からあの4人組の音楽が消えたら? 名演奏なしに名曲は生まれなかったという真実>
ご注意。ネタバレが嫌なら、これから先は読まないように。
『ラブ・アクチュアリー』などで知られるリチャード・カーティスが脚本を手掛けた映画『イエスタデイ』は、ビートルズが存在しない世界が舞台だ。だがその前提には、彼らの比類なき音楽性をめぐる伝説が今も広く認識されているとの考えがある。
主人公は売れないミュージシャンのジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)。ライブの後で交通事故に遭ったジャックが目覚めると、なんと自分以外は誰もビートルズを知らないらしい。友人たちを前に「イエスタデイ」を弾いてみせると、すごい曲を作ったと驚かれる。
ところが、ポップス史上に輝く名曲群を知るのは自分だけという特権を持っていても、耳を傾けてもらうのは難しいことを、ジャックはすぐに思い知る。
自分の新曲と称して自宅で両親に「レット・イット・ビー」を披露しても、地元のパプで「抱きしめたい」を演奏しても聴衆は無関心。売れないのは結局、俺に問題があるからかも。ジャックはそう考え始める。
しかし映画は、ジャックの間違いを証明しようとする。イギリスのシンガーソングライター、エド・シーラン(本人が出演)が「ジャックの曲」を知り、自身のツアーに共演者として招待。ジャックは「ポップス界のシェークスピア」と絶賛され、大スターの座はすぐそこに──。
だが実際のところ、ジャックは正しい。問題は彼なのだ。
ジャックのパフォーマンスは退屈で、全く心に響かない。本作の設定を知れば、ビートルズの曲は現代でもヒットするかという疑問が浮かぶ。だが問うべきはむしろ、ジャックの演奏でヒットすることがあり得るかどうかであり、筆者の耳で判断する限り答えは「絶対にノー」だ。
ビートルズのカバー曲がヒットした例は皆無に近い。あの珠玉の音楽をビートルズ以外が演奏・録音したらどれほどひどいものになるか、ネットで検索すればすぐ分かる。
ビートルズは単なるソングライター集団ではなかった。優れた演奏者にして音の革新者であり、だからこそライブ活動を中止してレコード制作に専念した。
無名で幸せそうなレノン
一方、ジャックは音作りについて何も考えてないらしい。その点は『イエスタデイ』という映画自体も同じだ。
本作によれば、音楽とはギターを持った男たちが音程補正ソフトなしに作るもの。ジャックの友人エリー(リリー・ジェームズ)を除けば、女性のミュージシャンは一切登場せず、ラップなど存在しないも同然だ。