『マトリックス』『ファイト・クラブ』『ボーイズ・ドント・クライ』......1999年こそ映画の当たり年!
We Lost It at the Movies
――あなたは99年を「文化の断絶(カルチャー・ラプチャー)の年」と呼ぶ。21世紀が目前だったことと関係があるのか。
90年代半ばから企画が始まった作品もあるから、一概にそうは言えない。でも、たまたまこうした作品が集まっただけとも思わない。90年代の最後の数年は好景気だったけれど、インターネットや24時間ニュースの普及で、世界がひどく加速しているように感じたものだ。
だから人々は「待てよ、自分は一体誰だ? 自分の居場所はどこだ?」と考えるようになった。21世紀を前にして、みんな無意識に気持ちを整理する節目としたのだろう。
――そういう流れは見た当時に感じたのか、それとも大量の映画を見直してから?
ホワイトカラーの不満を描いた映画を数えてみる必要はなかった。このテーマは企業に反旗を翻す『リストラ・マン』だけでなく、『マトリックス』『ファイト・クラブ』『アメリカン・ビューティー』にも流れている。『マルコヴィッチの穴』も職場と家を往復する文化から逃げ出そうとしている。ワーキングスペースの共有や自宅勤務ができる現代では過去のことに思えるだろうが、こうした不満は今も共感を呼ぶ。
アイデンティティーについてや、他人になる願望のテーマが多いのにも驚かされる。『マルコヴィッチの穴』はもちろん、『ボーイズ・ドント・クライ』、アンソニー・ミンゲラの『リプリー』、デービッド・クローネンバーグの『イグジステンズ』などだ。たまたま一斉に集まったとは思わない。
――クリストファー・ノーランは監督デビュー作『フォロウィング』を99年のスラムダンス映画祭に出品した。同年のサンダンス映画祭ではダグ・リーマンの『go』とトム・ティクヴァの『ラン・ローラ・ラン』が高い評価を受けた。こうした時系列をシャッフルさせる映画が、なぜそれほど観客に受けたのか。
ノーランに言わせると、VHSやDVDの登場で、観客は映像を一時停止させたり、後戻りさせたりすることに慣れた。同感だね。でも、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』(94年)の大成功も関係があるだろう。これは時間軸を入れ替えた最初の映画ではないけれど、興行収入が1億ドルを超えた初のインディーズ映画になり、アカデミー賞の脚本賞も受賞した。だからスタジオもこんな手法にゴーサインを出すようになったのだと思う。
――『アメリカン・ビューティー』はアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞などを獲得したが、今では評判が悪い。しかしあなたはこの本で、観客にうっすら覚えられているよりもいい、と書いている。
僕も公開当時は好きじゃなかった。そのうち世間でも「テレビドラマの映画版だ」と酷評され始めた。でも見直すうちに、当時は批判された作品の設定が現代に見事に重なると思うようになった。淫行おやじと隣人のナチ信奉者を描くなんて、当時はやり過ぎだったかもしれないが、今なら違和感がない。
――20年後の今、未来を予見していたと思う映画は?
『ハイスクール白書』のヒロインを悩ませる女性差別には、今の僕らのほうが敏感だろうね。『マルコヴィッチの穴』はインターネットそのもの。ネット社会では他人の経験を自分がした気になることも、他人の人生を乗っ取ることもできる。
『ファイト・クラブ』のテロリスト集団スペース・モンキーズが行う破壊工作は、ネットの荒らしやいじめを思わせる。彼らは深い考えもなしに、ゲーム感覚で何かを破壊するんだ。
だが断トツで時代を先取りしていたのは『マトリックス』だ。赤い薬と青い薬は、僕らも毎日選んでいる。現実に戻る薬を飲むのか、現実を見ずに済む薬を飲むのか。怖くなったり悲しくなったりするのを承知で、そういうニュースをクリックするのか。それとも気晴らしになるサイトをクリックするのか。人工知能が人間を超え、人のエネルギーを吸い取る。まさに、いま起きていることじゃないか。