歴史の中の多様な「性」(2)
Ⅳのような女装を伴わない大人の男同士の同性愛の形態は、近代になって、大正から昭和に入る頃から社会の表面にちらちら現れてくる。東京浅草公園六区にあった「瓢箪池」の畔は、そうした人たちの出会いの場だったが、やはりマイナーの中のマイナーという感じだった。現在の同性愛文化の中心になっているⅣの形態が、いつどうやって主流化したのか? かなり重要な課題だと思うが、実はまだよくわかっていない。現代のゲイの人たちはそうした形が当たり前だと思い込んでいるから、きちんと調べようとしないのだろう。
少し予察を述べると、一九五〇‐六〇年代の男性同性愛の世界で活躍していたのは「シスターボーイ」とか「ゲイボーイ」とか「ブルーボーイ」とか呼ばれていた人たちだった。現在のゲイ業界で大御所的存在である美輪明宏さんは「シスターボーイ」の元祖だし、カルーセル麻紀さんは「ゲイボーイ」出身で「ブルーボーイ」として世に出た人だ(三橋順子「ゲイボーイ、シスターボーイ、ブルーボーイ」『性の用語集』講談社現代新書、二〇〇四年)。これらの呼称はどれも「ボーイ(少年)」がつく。この時期くらいまでは、年齢階梯制に起源する少年愛の感覚が強く残っていたのではないだろうか。ちなみに稲垣足穂『少年愛の美学』(徳間書店)が刊行されたのは一九六八年だった。
現在、男性同性愛(ゲイ)といった場合、多くの人がイメージするだろう大人の男同士の性的関係(Ⅳ)が主流化するのは、どうやら意外に遅く、一九七〇年代以降なのかもしれない。もしそうなら、それだけ伝統的な男色文化の影響が根強かったということになる。
まだまだ、わからないことが多すぎる。
※第3回:歴史の中の多様な「性」(3) はこちら
[執筆者]
三橋順子(性社会・文化史研究者)
1955年生まれ。専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史。中央大学文学部講師、お茶の水女子大学講師などを歴任。現在、明治大学、都留文科大学、東京経済大学、関東学院大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院などの非常勤講師を務める。著書に『女装と日本人』(講談社)、編著に『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社)など。
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