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エドワード・ケネディ(アメリカ/上院議員)
名門一家の偉大な兄たちの影の中で、自分らしい道を模索し続けた末息子
思慮の浅い金持ち息子。エドワード・ケネディは時に、その言葉どおりの男に見えた。大金持ちの家の子弟らしく、エドワードは現金を持ち歩かなかった。勘定を支払うのはいつもほかの人。スピード違反の罰金を払うのもほかの人だった。何しろ、彼はあのケネディ一族の1人。父ジョセフの言葉を借りれば「世界で最も入会するのが難しいクラブ」の一員だった。
ケネディ一族は無責任なほど大きな特権を持つ人々だとの印象を与えることもあった。私生活を見る限り、確かにそうだ。エドワードの場合もしかりだった。その一方で、上院議員としてのエドワードは過去半世紀間、おそらく他のどの議員よりも貧しい者や虐げられた者に心を配った。保守派から「税金を無駄遣いするリベラル」と事あるごとに嘲られても、信念を貫いた。
「人々の懸念は私たちの懸念だ。彼らのための仕事は続く。大義はくじけず、希望は今も生き、夢は決して死なない」。そう語った80年の民主党全国大会での演説は生涯で最も有名な演説になった。彼はその言葉のとおりに生きた。
もちろん、社会問題に目覚めた金持ちはエドワードが初めてではない。昔から、富者は社会に道徳的な義務を負うと言われる。ニューディール政策を実施したフランクリン・ルーズベルト元米大統領も名門の出身だった。だがエドワードには、真剣さと不屈の精神があった。遊び半分の慈善家でも、偽善的な「金持ちリベラル」でもなかった。勤勉で、女性の権利や医療制度改革、移民や公民権の最大の擁護者だった。政治手腕も確かだった。上院では、何かを成功させたいなら頼るべき相手はエドワードだと言われた。
ある意味で、エドワードの人生は一族に課された義務を果たすためにあった。ケネディ家とは、1つの国家のような存在だ。カトリックの一族に生まれたエドワードは、初めての聖体拝領をローマ法王から直々に受けた。彼に定められた運命は王家の「最後の息子」の務めを果たすことだった。
「取るに足りない末息子」の子供時代
エドワードの物語はケネディ神話の信者の多くにとってなじみ深いものだと言える。それは罪と償い、勝利と悲劇の物語だ。だが良質のヒューマンストーリーの例に漏れず、陳腐な決まり文句には収まらない。エドワードの物語はより複雑で興味深い。物語の始まりは彼という人間の謎。富と特権を約束され、偉大であることを運命付けられた一族に生まれた男が、なぜ取るに足りない人間という印象を与えたのか。
ジョセフ・ケネディがニューヨーク郊外に構えた屋敷の食堂には、大きなマホガニー製のテーブルがあった。ジョセフと妻のローズと9人の子供たち、数人の尼僧や使用人のための椅子がテーブルを囲んでいた。
上座に座るのは家長のジョセフと「ゴールデントリオ」と呼ばれた年上の子供3人。ジョセフJr.とジョンとキャスリーンだ。3人は、野心的であれ、プロテスタントのエリート社会で成功しろと父ジョセフに教え込まれていた。
テーブルの少し離れた場所に、母ローズと娘3人、3番目の息子ロバートが座った。ロバートは父親や魅力的な兄姉に注目されようと必死だった。彼は後に、家族のために「汚れ仕事」を引き受けるタフガイの役割を果たし、その望みをかなえることになる。
末っ子のエドワードは一緒のテーブルに着かせてもらえなかった。兄や姉よりはるかに年下の彼は、すぐ上の姉のジーンらと共に部屋の隅で食事をした。