最新記事

ムーア、医療保険に吠える

米医療保険改革

オバマ政権の「国民皆保険」構想に
立ちはだかるこれだけの難題

2009.08.21

ニューストピックス

ムーア、医療保険に吠える

鬼才M・ムーアが『シッコ』で「アホでマヌケ」な米医療保険制度をえぐる

2009年8月21日(金)17時08分
デービッド・アンセン

論議が沸騰 『シッコ』のテーマには多くの人が共感(看護師の集会に加わるムーア監督(中央)) Max Whittaker-Reuters

 マイケル・ムーアは社会派のドキュメンタリー映画監督。あくの強い人物だが、時代の流れを読むのが実にうまい。新作『シッコ』でムーアがメスを入れるのは、公的保険ではなく民間の医療保険が大きな比重を占めるアメリカの医療制度だ。

 いまアメリカでは、医療保険制度をめぐる議論が白熱しており、筋金入りの自由市場主義者でさえ、大改革の必要性を認めている。ただし、他の先進国では主流の国民皆保険には反対の声も多い。

 ムーアに言わせれば、反対しているのは製薬会社、病院、医療保険業界と関係の深い政治家、それに保険会社。痛ましさと笑いが同居した『シッコ』の主な攻撃目標は保険業界だ。

 『シッコ』では、「悪者」を狙った突撃取材は影を潜めている。むしろムーアが関心を寄せているのは被害者。それも5000万人ともいわれる保険未加入者ではなく、民間の保険に入っている人たちだ。

 民間の保険に入っているからといって安心はできない。ある中年夫婦は治療費の自己負担分を払うために、家を売る羽目になる。交通事故で意識不明になった女性は救急車で病院に運ばれるが、救急車の使用は事前申請が必要と言われ、その分は自己負担になった。ある女性は夫を癌で失った。保険会社が、夫の治療に必要な手術を「まだ効果が不確か」だとして保険適用外と判断したからだ。

国民皆保険は社会主義?

 ムーアは、この手の悪夢を次から次へと繰り出す。彼に言わせれば、問題の元凶はニクソン政権だ。71年、当時のリチャード・ニクソン大統領は、保険が適用される治療を減らすことで利益を増やすという方針にゴーサインを出した。

 保険会社の元社員は、議会で保険業界の手口を証言。保険会社は患者を救うより、会社の出費を抑えた社員を厚遇するというのだ。

 『シッコ』の描写には、ムーア流の偏った面もある。ムーアはカナダやフランス、イギリスの制度をアメリカと比較して、外国のシステムを称賛する。9・11テロの際に被害者の救出活動で健康を害した人々を、医療が「無料」のキューバに連れて行き、祖国で受けられない治療を受けさせようとする。

 だが、他国の制度の長所ばかりが強調されると、かえってうさんくさい。ほころびのない医療制度など、どこにも存在しない。

 国民皆保険は「社会主義的」だというのが、反対派の言い分だ。ムーアは彼らにこう反論する。無料の学校や図書館、警察・消防サービスは受け入れているのに、なぜ医療が無料ではいけないのか

批判派も共感するテーマ

 ゼネラル・モーターズ(GM)に闘いを挑んだ『ロジャー&ミー』同様、ムーアは『シッコ』でも資本主義の暗部をさらけ出そうとしている。体制側は国民を脅しつけ、服従させようとするという『華氏911』のテーマも受け継がれている。フランスとアメリカの違いについて、ある登場人物はこう示唆する――フランスでは政府が国民を恐れているが、アメリカでは国民が政府を恐れている。

 『シッコ』は欠点が目立つ作品でもある。たとえば、フランスの国民皆保険制度が重税に支えられているわけではないことを証明するために、ムーアが見せるのはブルジョア夫婦の優雅な生活。これでは説得力がない。

 ムーアは誰にでも好かれる人物ではないが、いないと困る存在だ。今までは反感をいだいていたが、今回のテーマには共感するという人もたくさん現れるだろう。単純だからこそ強烈な『シッコ』は、アメリカ人に根本的な問いを突きつける。アメリカ人はどんな人間なのか。アメリカは、どんな国になってしまったのか。

 その後に来る問いは当然、現状をどう変革するべきか、だ。『シッコ』をきっかけに、この疑問に真正面から向き合いたい。

[2007年8月 8日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上

ワールド

ガザ支援搬入認めるようイスラエル首相に要請=トラン
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中