最新記事
米医療保険改革
オバマ政権の「国民皆保険」構想に
立ちはだかるこれだけの難題
ニューストピックス
ムーア、医療保険に吠える
鬼才M・ムーアが『シッコ』で「アホでマヌケ」な米医療保険制度をえぐる
論議が沸騰 『シッコ』のテーマには多くの人が共感(看護師の集会に加わるムーア監督(中央)) Max Whittaker-Reuters
マイケル・ムーアは社会派のドキュメンタリー映画監督。あくの強い人物だが、時代の流れを読むのが実にうまい。新作『シッコ』でムーアがメスを入れるのは、公的保険ではなく民間の医療保険が大きな比重を占めるアメリカの医療制度だ。
いまアメリカでは、医療保険制度をめぐる議論が白熱しており、筋金入りの自由市場主義者でさえ、大改革の必要性を認めている。ただし、他の先進国では主流の国民皆保険には反対の声も多い。
ムーアに言わせれば、反対しているのは製薬会社、病院、医療保険業界と関係の深い政治家、それに保険会社。痛ましさと笑いが同居した『シッコ』の主な攻撃目標は保険業界だ。
『シッコ』では、「悪者」を狙った突撃取材は影を潜めている。むしろムーアが関心を寄せているのは被害者。それも5000万人ともいわれる保険未加入者ではなく、民間の保険に入っている人たちだ。
民間の保険に入っているからといって安心はできない。ある中年夫婦は治療費の自己負担分を払うために、家を売る羽目になる。交通事故で意識不明になった女性は救急車で病院に運ばれるが、救急車の使用は事前申請が必要と言われ、その分は自己負担になった。ある女性は夫を癌で失った。保険会社が、夫の治療に必要な手術を「まだ効果が不確か」だとして保険適用外と判断したからだ。
国民皆保険は社会主義?
ムーアは、この手の悪夢を次から次へと繰り出す。彼に言わせれば、問題の元凶はニクソン政権だ。71年、当時のリチャード・ニクソン大統領は、保険が適用される治療を減らすことで利益を増やすという方針にゴーサインを出した。
保険会社の元社員は、議会で保険業界の手口を証言。保険会社は患者を救うより、会社の出費を抑えた社員を厚遇するというのだ。
『シッコ』の描写には、ムーア流の偏った面もある。ムーアはカナダやフランス、イギリスの制度をアメリカと比較して、外国のシステムを称賛する。9・11テロの際に被害者の救出活動で健康を害した人々を、医療が「無料」のキューバに連れて行き、祖国で受けられない治療を受けさせようとする。
だが、他国の制度の長所ばかりが強調されると、かえってうさんくさい。ほころびのない医療制度など、どこにも存在しない。
国民皆保険は「社会主義的」だというのが、反対派の言い分だ。ムーアは彼らにこう反論する。無料の学校や図書館、警察・消防サービスは受け入れているのに、なぜ医療が無料ではいけないのか
批判派も共感するテーマ
ゼネラル・モーターズ(GM)に闘いを挑んだ『ロジャー&ミー』同様、ムーアは『シッコ』でも資本主義の暗部をさらけ出そうとしている。体制側は国民を脅しつけ、服従させようとするという『華氏911』のテーマも受け継がれている。フランスとアメリカの違いについて、ある登場人物はこう示唆する――フランスでは政府が国民を恐れているが、アメリカでは国民が政府を恐れている。
『シッコ』は欠点が目立つ作品でもある。たとえば、フランスの国民皆保険制度が重税に支えられているわけではないことを証明するために、ムーアが見せるのはブルジョア夫婦の優雅な生活。これでは説得力がない。
ムーアは誰にでも好かれる人物ではないが、いないと困る存在だ。今までは反感をいだいていたが、今回のテーマには共感するという人もたくさん現れるだろう。単純だからこそ強烈な『シッコ』は、アメリカ人に根本的な問いを突きつける。アメリカ人はどんな人間なのか。アメリカは、どんな国になってしまったのか。
その後に来る問いは当然、現状をどう変革するべきか、だ。『シッコ』をきっかけに、この疑問に真正面から向き合いたい。
[2007年8月 8日号掲載]