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岡本武夫(水の彫刻師)
はかない素材に命を吹き込む
アンカレジ(アラスカ)の長くて暗い冬を、岡本武夫はもっぱら趣味の世界に閉じこもって過ごしていた。そこで寿司職人をしていた7年間、岡本は週末になると車で山へ行き、湖の透明な氷を切り出してきて、ひたすら氷の彫刻作りに取り組んだ。誰に教えを請うたわけでもない。
それから20年。今や岡本の見事な作品はニューヨークの高級レストランや著名ブランドの商品発表会などの会場を飾っている。顧客リストにはエビアン、アブソルートウオツカ、ワーナー・ブラザースと、一流どころの名が並ぶ。
ニューヨーク・タイムズは、岡本が氷の彫刻を「昔の豪華クルーズ船に飾られていたハクチョウやハト、貝殻などの見せ物」の地位から救い上げたアーティストだと絶賛した。たぶん、地元の人気和食店「メグ」に飾られている氷の大仏に感動したからだろう。
岡本の成功を語るうえで、息子の慎太郎(33)の存在は欠かせない。4年前、慎太郎は岡本スタジオを設立。アートとしての氷の彫刻をデザイン、制作し、作品の設置から撤去までを行う会社だ。「日本的なきめ細かいサービスを行う」と、慎太郎は言う。
ある火曜日、クイーンズ地区にある岡本スタジオでは、岡本が見守るなか2人のアメリカ人が氷の塊と格闘していた。岡本はときに口頭でアドバイスするが、たいていは自分でやってみせる(彼は英語が達者ではない)。
最初にチェーンソーで粗削りし、その先はノミとドリルを使う。氷によけいな圧力を与えないチェーンソーの段階でどこまで作れるかが勝負だ。記者が訪れた日には、テレビ番組で使う氷のトレイ(中にライムの葉を閉じ込めてある)を制作していた。
自然が生む美しいライン
彫刻にとって重要なのは氷の質だ。岡本スタジオが素材とする氷は特別製。気泡ができるのを防ぐために、ポンプで常に水を動かしながら、不純物が混じらないよう底からゆっくりと凍らせる。
氷相手の作業はむずかしい。彫っている最中も溶けるので、タイムリミットは90分以内。氷の大きな塊を運び、チェーンソーを操るので腕力も必要だ。彫っているときに失敗してしまったら取り返しはつかない。「度胸が要求されるので、万人向きの仕事ではない」と、慎太郎は言う。
83年に福岡からアラスカに移住した岡本は、90年から氷の彫刻コンテストに出場しはじめ、さまざまな賞に輝いた。しかし、そうした日々は終わった。「競技会ではドラマや動きを意識して、あっと言わせる作品にしようとする。でもそれはうわべの派手さで、マンガのようだ。氷の美しさを引き出す最良の方法とは思えない」
氷の彫刻が溶けるのを見ると、たいていの人は「もったいない」と思う。しかし岡本は「溶けるところ」にこそ美学を見いだす。「私たちは氷の細部まで彫り込む。溶けていくうちに、自然が創造する新しいラインになる。人間が手を加えない自然でシンプルな過程だ。水が氷になり、元の水に戻っていく。とても美しい光景だ」
息子の慎太郎もそう思う。「はかない氷の彫刻に注ぎ込まれる技術に、人々は驚き、溶けていくのを食い入るように見つめる。まるで、時間が凍りついたように」
[2007年10月17日号掲載]