最新記事

SARS経済危機説の嘘

迫りくるパンデミック

感染症の新たな脅威が 人類に襲いかかる

2009.05.15

ニューストピックス

SARS経済危機説の嘘

エコノミストはアジア経済危機再来の警鐘を鳴らす。だが今後のダメージは限定的なものにとどまりそうだ

2009年5月15日(金)19時15分
ジョージ・ウェアフリッツ(東京支局長)、アレグザンドラ・セノ(香港支局)

 重症急性呼吸器症候群(SARS)のせいで、マイケル・オキーフの仕事は乱調ぎみ。ただし、SARSが直接、ビジネスに悪影響を与えているわけではない。

 クロール・インターナショナル社のリスクコンサルタントとして日本で働く彼の本来の任務は、顧客に警戒を促すことだ。だが今は、過度の警戒を戒めるのが仕事になっている。

 オキーフは、出張を禁止したり、アジア諸国を訪れた社員を隔離したりする必要はないと顧客にアドバイスしている。不用意な行動は禁物だが、SARSがアジア全域で蔓延しているわけではないことを認識すべきだという。

 「たとえば、一人のアジア人が病気になったからといって、アジア全体が病気に冒されているわけではない」と、オキーフは語る。

生命線の貿易はほぼ無傷

 著名なエコノミストは、SARSは97~98年の通貨危機と同程度の深刻な打撃をアジア経済に与えるおそれがあると警告している。だが、実際はどうなのか。

 確かにSARSは、旅行業や運輸業、小売業にダメージを与えているが、被害は香港やシンガポール、中国などに集中している。SARSによる打撃を無視するわけにはいかないが、アジア全域でSARSが蔓延することを前提にした経済危機説には、あまり説得力がない。

 世界銀行は4月に発表した報告書で、日本を除く東アジア地域の今年の成長率予測を6%から5%に下方修正。SARSによる損失は約300億ドルと見積もった。

 世界銀行は、損失の大半はSARSそのものではなく、パニックによって生じるとみている。「短期的には、経済に影響を与えるのは、もっぱらSARSに対する人々の認識と恐怖と言っていい」

 だとすれば、通貨危機ほどのダメージは生まれないだろう。通貨危機の際は、アジア全域が深刻な景気後退に陥った。96年に8・3%だったアジアの成長率は、98年には4・4%に急落した。それに比べれば、SARS禍による影響は小さい。

 SARSが猛威を振るう香港がいい例だ。「マンダリンホテルのロビーは閑散としているが、需要がなくなったわけではない。手控えられているだけだ」と、投資アドバイスを行うコマーシャル・エコノミクス・アジア社のエンツォ・フォン・ファイルCEO(最高経営責任者)は言う。

 観光業が香港のGDP(国内総生産)の約10%を占めているため、旅行客の減少などで景気後退に陥るおそれはある。だが生命線である貿易は、ほぼ無傷だ。「大半の企業のビジネスは通常どおりだ」と、香港にある米国商業会議所のフランク・マーティンは言う。

 だが今のところ、メディアでこうした冷静な意見が伝えられるケースは少ない。アジア開発銀行のプラドゥムナ・ラナによれば、アジア諸国は少々の荒波ならはね返せるだけの力があるという。アジア地域全体の外貨準備高は96年当時の5倍にのぼる。

 資産運用会社フランクリン・テンプルトン・インベストメンツのマーク・モビアスは、先ごろ香港や中国を訪れたが、SARSの影響は限定的だという意見を変えていない。「数カ月もすれば、経済に活力が戻り、再び成長に弾みがつくだろう」と、モビアスは言う。

中国が本腰を入れれば

 SARS禍が吹き荒れる中国でも、経済への影響はさほど大きくない。「SARSで中国経済が不安定化しているとは思えない」と語るのは、『チャイナ・インベスター』の著者セサル・バカーニ。「貿易や投資、リストラ、家計の富裕化などから生まれる勢いに陰りは見えない」

 ベトナムとシンガポールは、SARSをうまく封じ込めたようだ。ならば、中国がSARSを制圧できたとしても不思議ではない。

 「中国の指導者が本腰を入れれば、たいていの問題は解決する。ときには恐ろしいほど効率的に」と、ゴールドマン・サックスのリポートには記されている。「全体主義の『効用』と言えるかもしれない」

 これも、SARSが経済危機を引き起こす可能性が低い理由の一つだ。

[2003年5月14日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 7
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中