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ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(1):水の都に集まる紳士と淑女
■「『資本論』に戻れ」
その奥にある天井の高いアリーナでは、字幕が映し出される巨大スクリーンを背に、俳優たちが朗読を行っている。テキストはカール・マルクスの『資本論』で、演出は映像アートで知られるアイザック・ジュリアンが担当した。朗読は7ヶ月に及ばんとする会期中毎日続けられるというから、これはまさしく企画展の通奏低音にして主調と呼ぶべきテキストだろう。トマ・ピケティの『21世紀の資本』が世界的ベストセラーになっている時代に、エンヴェゾーは(そしてジュリアンは)「原典」たる『資本論』に戻れと言っている。ホロコーストのような蛮行を起点とし、マルクスが精緻に分析した資本主義が極限にまで発展した戦後史が、この企画展が描く対象なのだ。
だから展示は「過去の破局」と成長し続ける「瓦礫の山」のオンパレードだ。様々なデモの写真をトレースしたリクリット・ティラヴァニのドローイング。画一的な管理教育が行われる教室で顕微鏡と化してしまった自身を描く石田徹也のペインティング。世界恐慌後の失業者たちを写したウォーカー・エヴァンスの写真。「American Violence」という文字が明滅するブルース・ナウマンの鉤十字型ネオンサイン。大砲や銃など、本物そっくりの武器を模したピノ・パスカリやモニカ・ボンヴィチーニの立体。世界各地の労働と労働者を取り上げるアンティエ・エーマンとハルン・ファロッキのドキュメンタリー映像......。ジャルディーニには、ラックス・メディア・コレクティヴが作った顔のないセメント製の彫像がいくつも並んでいて、1989年以降、様々な国で群衆に引き倒された独裁者たちのそれを想起させる。
確かに気分が明るくなる展示ではない。でも、現実が決して明るくないのに能天気な展覧会を作ってみせるのもどうかと思う。1990年代以降、現代アートの大きな潮流となっている「ポストコロニアリズム」「マルチカルチュラリズム」という主題は、いまだに有効だ。第2次世界大戦と米ソ冷戦が終わって植民地主義が崩壊しつつあり、多文化主義が一応のコンセンサスを得つつあるとはいえ、世界には解決すべき問題が山積しているからだ。だから、上述した批判はネトウヨのリベラル批判並みに単純で薄っぺらだと思う。しかし、実はこれほど単純ではない批判もエンヴェゾーのキュレーションには寄せられている。それは、資本主義とアートをめぐる、もっと本質的な批判である。
小崎哲哉さんの連載「現代アートのプレイヤーたち」は、書籍として刊行されたの機に、1、2回以外は非公開とさせていただきました。
『現代アートとは何か』
小崎哲哉
河出書房新社
この筆者のコラム
ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(2):『資本論』とロールス・ロイス 2015.10.22
ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(1):水の都に集まる紳士と淑女 2015.10.07