ピケティはマルクスを超えられるか──映画『21世紀の資本』を考察する
理論的裏付けと政策戦略がまったく異なるピケティとマルクス
現在ではもはや歴史の一断片にすぎないが、マルクス主義の政策プログラムは、社会主義経済圏の拡大という形で、少なくともある時代には世界を二分するような隆盛を誇った。その理由の一端は、おそらくその「科学的」な装いにあった。すなわち、マルクス主義は、単なるイデオロギー的世界観に留まらず、労働価値説と搾取説に基づく窮乏化論と、それに基づく歴史法則という「理論的裏付け」を持っていた。カール・マルクスの朋友であったフリードリヒ・エンゲルスが『空想から科学へ』(1880年)でマルクス主義をその先駆である「空想的社会主義」から区別したのは、まさしくその点に基づいていた。
そのマルクス主義の理論とは、「資本家による労働者の搾取と、それによる労働者の窮乏化は、生産手段の私的所有それ自体から生み出される。したがって私的所有に基づく資本主義は、この基本矛盾によって必然的に崩壊する」という命題である。カール・ポパーが『歴史主義の貧困』(1957年)によって批判したように、ポパー的な科学理解からすれば、このマルクス主義の「歴史法則」は明らかに反証可能性を持たないから、必ずしも科学的命題とは言えない。しかしながら、科学とは何かがまだ曖昧であった19世紀半ばという時代に、マルクスが社会現象についての一つの理論的説明を提供したことは、それ自体が既に十分に画期的だったのである。それだけではなく、マルクスはその「理論」に基づいて、「革命を通じた私的所有の廃棄」という政策戦略をも提起していた。マルクス主義はその意味では、資本主義の本質についての一定の把握=世界観を中核とし、それを裏付ける理論的把握と戦略を防備帯とするような、一つの確固とした政策プログラムであった。
ピケティ主義は、資本主義経済の持つ本質的な不平等性の把握という点においては、明らかにその世界観をマルクス主義と共有している。しかし、その把握を裏付ける理論や政策戦略は、マルクス主義とはまったく異なる。端的にいって、ピケティはマルクス主義の理論や実践には少しの共感も同情も持っていない。それは、この映画が東欧における社会主義体制崩壊のエピソードから始まり、そこに登場するピケティがそれについて「人間解放を約束した政治体制が悲惨と政治的抑圧を生み出した」と総括していることからも明らかである。
この映画では終わりの部分でごく短く説明されるだけであるが、資本主義経済において不平等が必然的に拡大する理由としてピケティが依拠しているのは、資本主義経済の持つ「r>g」すなわち「資本収益率rが経済成長率gを上回る」という傾向である。確かに、もしこの不等式が「資本主義経済の基本法則」なのであれば、資本所有者の所得分配シェアは常に上昇し、資本を持たない労働者のそれは常に低下し続けるはずであるから、不平等の拡大という事象の一般性はそれだけで保証されることになる。さらに、その「r>g」が現実にどの程度当てはまっているのかは、実際にピケティが広範に行っているように、過去のデータから確証可能である。それは当然ながら、その同じデータから反証可能でもある。したがって、資本主義経済の持つ本質的な不平等性を明示化する目的のためには、マルクス主義のように「搾取」といった反証不可能な形而上学的概念を持ち出す必要はない。
ピケティが描き出す資本主義とは、基本的には「資本を持つものと持たざるもの」の対立図式であり、その点ではマルクス主義による階級対立の図式と表面上は似ている。しかしながら、ピケティは、マルクス主義者のように「資本=私的所有を廃絶せよ」などとは言わない。というのは、彼が映画の終わりの部分で述べているように、資本の保有さえ平等化すれば、分配の平等化は自ずと実現されるからである。そしてそれは、暴力革命による資本の簒奪といった手段を用いずとも、ピケティが示唆するような民主主義的な手続きを通じた税制改革によって十分に実現可能なのである。
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