ピケティはマルクスを超えられるか──映画『21世紀の資本』を考察する
ピケティが自らの主著を映画化したその意図は何だったのか (C)2019 GFC (CAPITAL) Limited & Upside SAS. All rights reserved
<ピケティの最終的な目的は、明らかに政策実現にあった。この映画は、ピケティ主義の啓蒙的宣教のための手段であり、ある種のプロパガンダである...>
新型コロナ感染拡大によって公開が中止されていた、トマ・ピケティによるベストセラー『21世紀の資本』に基づくドキュメンタリー映画が、5月末より再公開された。日本でも数多くの読者を獲得したこの本の内容それ自体については、改めて論評する必要もないであろう。本稿では、その内容の是非についてではなく、ピケティはそれを映画化することでいったい何を意図したのか、そしてその企画意図はどこまで果たされたのかを、筆者が考える意味での経済政策学の観点から考察してみたい。
この経済政策学とは何かについては、筆者は既に、2020年3月25日付本コラム「日本経済は新型コロナ危機にどう立ち向かうべきか」で明らかにしている。そこで論じたように、あらゆる経済政策は、何らかの価値判断に基づいて達成されるべき課題を明確にすることから始まる。それが政策目標である。それに対して、その目標の達成のために用いられる具体的な方策が、政策手段である。経済政策とは、この政策目標に対する手段の割り当て、すなわち政策割り当てのことである。
この4月に公刊された筆者自身の著書『経済政策形成の論理と現実』(専修大学出版局)では、この経済政策形成の実相を、政策プログラム(あるいは政策生成プログラム)という枠組みを用いて分析した。科学哲学者のイムレ・ラカトシュは、反証可能性に関するカール・ポパーの議論を踏襲し、科学実践を反証不可能で置き換え不能な中核(hard core)と反証可能で置き換え可能な防備帯(protective belt)という階層構造として把握する科学的研究プログラム(Scientific Research Programmes)という概念を提起した。政策プログラムとは、その考え方を経済政策実践に応用したものである。
政策プログラムにおいては、その中核とは「社会において解決されるべき問題とは何か、その問題解決ためには何が必要か」を導き出す、特定の世界観=イデオロギーや価値判断である。そして防備帯とは、「その価値実現のために、どのような政策目標および政策手段を設定すべきか」を示した政策戦略である。その防備帯には「その政策手段を具体化するためには何が必要か」を示す、政策の戦術的な設計も含まれる。その政策実現のための戦略および戦術が十分に現実的であるためには、単なるイデオロギーを超えた、科学的な裏付けを持つ必要がある。その裏付けとは、政策目標と政策手段を結び付ける科学的推論である。それを提供するものこそが経済理論であり、実証科学としての経済学なのである。以下では、ピケティが提起する政策プログラムとはいかなるものかを、もっぱら今回の映画に基づいて考察しよう。
中核的世界観を共有するピケティとマルクス
あらゆる政策プログラムの中核には、何らかの意味でのイデオロギーや世界観が存在する。その点では、ケインズ主義や新自由主義も、毛沢東主義やイスラム原理主義と本質的な違いはない。たとえばケインズ主義とは「適切な雇用と所得を維持するためには、政府は能動的に反循環的なマクロ経済政策を実行すべき」とする政策思想と定義できるが、それは、資本主義経済は本質的にマクロ的な不安定性を持つというケインズ的な経済把握=世界観に基づいている。それに対して、新自由主義とは、「個人の経済的自由は最大限に拡大されるべきであり、逆に政府の経済的機能は可能な限り縮小されるべき」という政策思想であるが、それは、公正で豊かな社会は選択を個人の自由かつ自発的な意志に任せることによってのみ実現されるという古典的自由主義以来の世界観に基づく。
政策プログラムの中核にあるこれらの世界観は、一定の現実的妥当性を持つ必要があることは確かではあるが、必ずしも厳密に科学的である必要はない。すなわち、「現実から得られるデータに基づいてその命題の確からしさを判別できる」という意味での反証可能性を持つ必要はない。実際、ケインズ主義にせよ古典的自由主義にせよ、その世界観それ自体は、反証可能な科学的命題とはほど遠い、きわめて形而上学的な「把握」にすぎない。だからこそ、それらは科学ではなく「主義」なのである。
それでは、仮にピケティ主義というものが存在するとすれば、その世界観とはいかなるものなのであろうか。今回の映画が明瞭に示すように、「資本主義経済は必然的に所得と資産保有の格差拡大をもたらす」というのがそれである。これはまさしく、マルクス主義の従来的な世界観そのものである。おそらくそれが、ピケティがその著書にあえて「資本」というきわめて曲解されがちな言葉を用いた理由であろう。
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