コラム

ピケティはマルクスを超えられるか──映画『21世紀の資本』を考察する

2020年07月13日(月)18時50分

ピケティ主義が一般社会に浸透するための課題

ピケティが自らの主著を映画化したその企画意図は、きわめて明瞭である。それは、上のような世界観と理論的裏付けと政策戦略を持つピケティ主義を、一つの政策プログラムとして一般社会に浸透させていくことである。というのは、もしピケティの問題関心が、他の多くの経済学者たちと同様に、単なる学問的な追究のみなのであれば、映画などには手を染めずに、同業者向けの論文や著書だけを書いていればそれで十分だったはずだからある。

つまり、ピケティの最終的な目的は、明らかに政策実現にあった。そしてピケティは、その政策実現のためには、同業者たちからの承認や称賛のみではなく、自らが提起した政策プログラムに対する一般社会における認知や賛同が必要不可欠なことを理解していた。その意味では、この映画は、ピケティ主義の啓蒙的宣教のための手段であり、ある種のプロパガンダである。

この映画がプロパガンダという言葉から通常連想される否定的な印象を免れているとすれば、それは、社会科学者としてのピケティが、その世界観を、もっぱら歴史的事実やデータに基づいて描き出そうとしている点にある。実際、資本主義社会における経済的不平等の傾向的な拡大という、この映画が訴えかける世界観には、切実な現実味がある。そのことは、この数十年のアメリカ経済についてはとりわけ強く当てはまる。ピケティの訴えが、従来は経済的不平等に比較的「寛容」であったはずのアメリカで最も熱狂的に受け入れられたのは、おそらくそのためである。

ピケティ主義が今後、ある時期までのマルクス主義のように、現実世界における実践の領域にまで浸透していけるのか否かは、現時点では分からない。そのためには何よりも、新自由主義のような対立する政策プログラムに対する「世界観の争い」を勝ち抜かなければならない。さらには、その世界観に共鳴する追随的なイデオローグや、マルクス主義におけるレーニンや新自由主義におけるマーガッレト・サッチャーやロナルド・レーガンのような、その政策戦略を現実化できる実践家や政治家が現れてこなければならない。その実現のハードルは現時点ではきわめて高いが、政策思潮というものはしばしばオセロのように急転換してきた事実を思い起こせば、決して不可能とはいえないのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上

ワールド

ガザ支援搬入認めるようイスラエル首相に要請=トラン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story