コラム

増税があらゆる世代の負担を拡大させる理由

2018年12月21日(金)18時30分

完全雇用経済と不完全雇用経済とでは逆転する赤字財政の負担

以上にみたように、赤字国債の発行が対外債務の増加あるいは民間投資のクラウド・アウトをもたらした場合、財政負担が確かに現在から将来に転嫁されたことを意味する。1980年前半にアメリカのロナルド・レーガン政権は、レーガノミクスの名の下に大規模な所得減税政策を行い、結果として財政赤字が急拡大したが、その時には確かにこの両者が同時に生じた。

ところで、2017年07月20日付の拙稿「政府債務はどこまで将来世代の負担なのか」でも論じたように、赤字国債の発行がこのような対外債務増加や民間投資のクラウド・アウトに結びつくのは、主に完全雇用経済においてである。つまり、不完全雇用経済ではこのような経路を通じた将来負担は生じにくい。それは、不完全雇用経済では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も同時に拡大し、結果として対外債務や民間投資のクラウド・アウトが完全雇用時よりも抑制されるからである。

それでは、ある経済が完全雇用かそうでないかは、何をもって判断すべきなのであろうか。それは一般的にはインフレ率や失業率であるが、単に負担転嫁の度合いを判断するだけという場合には、とりあえずは金利に注目しておけばよい。というのは、対外債務の増加や民間投資のクラウド・アウトは、通常はもっぱら赤字国債の発行によって生じる国内金利の上昇という経路から生じるからである。

仮に完全雇用であったとしても、金利が上昇していないのであれば、負担転嫁もまた存在していないと判断することができる。たとえば、人々が現在の増税を赤字財政による将来の増税と同一視するという意味での「リカーディアン」である場合には、政府支出を増税で賄おうが国債で賄おうが人々の貯蓄・支出行動は変わらないため、完全雇用でも不完全雇用でも、赤字財政ゆえに金利上昇が生じるということはない。したがって、赤字財政による将来負担もまた存在しない。

もう一つの典型的なケースは、不完全雇用であり、かつ「流動性の罠」に陥っているような経済である。この流動性の罠においては、需要不足によって金利がその下限に貼り付いた状態にあるために、赤字国債の発行によって総需要が拡大しても、金利の上昇は生じない。それは、国債発行による対外債務増加や民間投資のクラウド・アウトがほぼ生じておらず、したがって赤字財政による将来負担もまた生じていないことを意味する。この四半世紀にわたる日本経済は、まさにそのような状況にあったと考えられる。

現実にはむしろ、その間の日本の赤字財政は、それが行われなかった場合と比較すれば、将来世代の負担を減少させていた可能性さえある。逆にいえば、もしこの赤字財政がなければ、日本の若い世代の負担はより増えていたのである。というのは、それが「C+l+G表の均衡交点を完全雇用の方向に近づける実行可能な方法が何もないときに負債を負うことは、実際には、さもなければ生じたであろう以上の資本形成や消費をそのとき現実に誘発する度合に応じ、すぐさきの将来にたいする負担を逆に減らすことになる!」という、『経済学』第19章における引用部分の意味するところだからである。

既述のように、赤字財政が将来世代負担を生むのは、それが民間投資のクラウド・アウトをもたらし、将来の所得と消費を減少させるからである。しかしながら、不況下で行われる政府の赤字財政支出は、民間投資をクラウド・アウトするどころか、所得や雇用の増加や、いわゆる「投資の呼び水効果」を通じて、それが行われなかった場合よりも民間投資を拡大させる可能性がある。将来の所得と消費はそれによって減少するのではなく拡大するのであるから、将来の負担は増えるのではなくむしろ減ることになる。これこそまさに「赤字財政のパラドクス」である。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

英金融市場がトリプル安、所得税率引き上げ断念との報

ワールド

ロシア黒海の主要港にウの無人機攻撃、石油輸出停止

ワールド

ウクライナ、国産長距離ミサイルでロシア領内攻撃 成

ビジネス

香港GDP、第3四半期改定+3.8%を確認 25年
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    文化の「魔改造」が得意な日本人は、外国人問題を乗…
  • 5
    「水爆弾」の恐怖...規模は「三峡ダムの3倍」、中国…
  • 6
    中国が進める「巨大ダム計画」の矛盾...グリーンでも…
  • 7
    『トイ・ストーリー4』は「無かったコト」に?...新…
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 10
    ファン激怒...『スター・ウォーズ』人気キャラの続編…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 8
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 9
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 10
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story