財政負担問題はなぜ誤解され続けるのか
『サムエルソン経済学』は財政負担問題について何を言っているのか
この本が赤字財政の負担転嫁問題を論じているのは、第19章「財政政策とインフレーションを伴わぬ完全雇用」の第2節「公債と近代の財政政策」および付論「公債の負担--その虚偽と真実」である。それはまず、以下のように、「素人の接近方法」によってこの問題を扱うことに対する危うさの指摘から始まる(頁はすべて上記『サムエルソン経済学』(上)1977年版に基づく。以下これを『経済学』と略記する)。
公債に関連して生ずる負担を評価するさい、われわれは、小さな一商人の負債について真であることが何でも必然的に政府の負債についても真であるなどとあらかじめ決めてかかってしまう非科学的な方法は、これを慎重に避ける必要がある。問題をこのように予断してしまうことは、論理学上の合成の誤謬を犯すのにも等しい。公債の真の--そして現実には否定すべくもない--負債を分離して理解させてくれるものではなく、かえって問題点を混乱させるだけに終わるかもしれないのである。
近代経済学者は、公債の真の負担という点に関心を寄せ、素人の接近方法とは著しく異なるかたちでこの問題を診断するのである。(598-599頁)
『経済学』はこのように、政府の債務を個人や家計の債務と同様なものと考えてはならないことを指摘したのち、負担問題に関する結論を以下のように提示する。
ある世代がのちの世代に負担を転嫁できる主な方法は、その国の資本財のストックをそのときに使ってしまうか、または資本ストックに通常の投資付加分を加えることを怠るのかのいずれかである。(599頁)
この命題の意味は、章末の「要約」で、以下のようにより詳しく解説されている。
公債は、あたかも市民のひとりひとりが背中に岩を背負わなければならぬような形で国民に負担を負わせるものではない。われわれが現在資本形成削減の策を選び後世にそれだけ少ない資本財を残すことになるかぎり、われわれは後世の人たちに与えられた生産可能性に直接影響を及ぼすことになる。われわれがなんらかの一時的な消費目的のために外国から借金をし、その外債にたいし後世の人たちが利子や元金を支払わなければならぬような約束をするかぎり、われわれは後世に正味の負担をかけるわけで、その負担分は後世の人たちがそのときに生産できるもののなかからの控除を意味するだろう。われわれがのちの世代の手にいずれにせよわたるであろう資本ストックにはなんの変更も加えないで彼らに内国債を残す限り、国内ではさまざまの移転効果が生じうるわけで、そのときになって生産される財の中から社会のある集団が他の集団の犠牲において余計の分け前を受け取るということになる。(612-613頁)
この説明は、二つの命題に分けて考えることができる。その一つは、「公債は、国内で消化され、かつそれが一国の将来の生産=消費可能性に影響を与えるものではない場合、国内的な所得移転は生じさせるものの、将来世代の負担にはならない」である。筆者の上掲2017年07月20日付コラムで指摘したように、このことを不十分ながら最初に述べたのは、初期ケインジアンを代表する経済学者の一人であったアバ・ラーナーである。そしてもう一つは、その対偶命題であり、「公債は、国外で消化される場合、あるいは資本ストックを減少させて一国の将来の生産=消費可能性を縮小させる場合には、将来世代の負担になる」である。
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