財政負担問題はなぜ誤解され続けるのか
この最初の命題を論証するために、『経済学』第19章の付論では、「負担ゼロの極端な場合」という、以下のような設例が提示されている。
いまかりにすべての負債が過去の戦争のおかげで生じたとしよう。さて、その戦争は終わった。そこで、かりにすべての家族が(1)理想的な、そして何の偏りもない租税制度のもとで平等に負担を分け合うとし、(2)公債も均等に保有しているとし、(3)誰もが(あるいは個人として、または一体化した家族として)永久に生きるとする。だとすれば、外国に対する負債がない場合、われわれはそれこそ「皆で自分に借金している」状態にあるといってよい。
上の前提のもとでは、この種の債券はわれわれの背中にのせられた岩のようなものではないことがはっきりしている。債券の紙の重さほども負担とはならないだろう。もしもわれわれが全員一致でその債券を廃棄することに決めたとしても、そこには何の相違も生じないであろう。(616頁)
付論ではこれに引き続き、今度は逆に公債が資本ストックの減少を通じて将来世代に負担をもたらしているようなケースが例示され、「内国債である限り将来負担は生じない」という主張が一般的に真ではないことが説明されるのである。
なぜ「政府債務=背中の岩」説が信じられ続けるのか
『経済学』ではこのように、赤字財政の負担は確かに将来世代に転嫁されている可能性はあるものの、それは多くの人々が信じこまされているような「国民ひとりひとりが背負わなければならない岩」のようなものでは決してないことが明確に説明されている。そのことは、「将来世代全体の消費可能性はその所得によって決まるのであり、それぞれがそれぞれに対して持つ債権債務によるのではない」という自明な事実からも明らかである。
このような経済学的知見からすれば、その大部分が内国債によって賄われ続けてきた日本の財政赤字が本当に将来世代の負担となっているのかどうかについては、慎重な吟味が必要だったはずである。しかし、上記「建議」の中に、そのような視点を見出すことはできない。その述べるところはむしろ、上の「背中の岩」説にきわめて近い。
『経済学』が指摘するように、「政府債務=背中の岩」説は、経済学的には単なる謬論にすぎない。したがって、仮にそれが政策論議の中で公言されたとすれば、それはもっぱら政治的プロパガンダとしてのみ取り扱われるべきものである。しかし、滑稽なことに、日本の経済論壇においてはむしろ、そのような議論こそが「将来までをも見据えた真摯な政策論」として持ち上げられがちなのである。
『経済学』第19章では、人々が政府債務の「負担」をかくも過大視してしまう傾向に関して、歴史家マコーレイによる1世紀以上も前の論述を引用している。以下がそれである。
その負債がふえていく各段階ごとに、国民は相も変わらぬ苦悩と絶望の叫びをあげた。その負債がふえていく各段階ごとに、賢者たちは破産と破局が目前に来ていると本気になって主張した。しかも、負債はふえる一方で、にもかかわらず破産や破局の徴候はいっこうに見受けられなかった。...
災厄の予言者たちは二重の幻想を抱いていた。彼らはある個人が他の個人に負債を負っている場合と社会がみずからの一部にたいして負債を負っている場合とのあいだに完全な類似があると錯覚したのである。...彼らはさらに、実験科学のあらゆる面でたゆまない進歩が見られ、誰もが人生で前進の努力を不断に行うことの結果得られる効果を考慮に入れなかった。彼らは負債がふえるという点だけを見、他の事がらも同じく増加し成長したことを忘れたのである。(606頁)
『経済学』第19章では、この引用に続いて、アメリカの公債残高の国民総生産に対する比率が戦後から1970年代まで一貫して減少し続けてきたことが指摘され、それはもっぱらインフレーションと経済成長との相乗効果によるものであることが明らかにされる。そして実は、このことこそがまさに、日本の財政にとっての真の課題なのである。というのは、日本の財政状況が「悪化」したのは事実にしても、その原因は人々の放蕩ではなく、「デフレーションと低成長との相乗効果」以外ではあり得なかったからである。
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