雇用が回復しても賃金が上がらない理由
このように、不況の初期段階では、実質賃金は高い上昇率を維持することが多い。これは、不況による総需要の減少が、下方硬直性を持つ賃金よりも、それを持たない物価をより大きく引き下げるためである。この場合の実質賃金上昇は、当然ながら、生産性上昇や労働需要拡大によって生じる完全雇用時の実質賃金上昇とは性格が異なる。
この不況下の実質賃金上昇に直面した企業は、解雇や新規採用の縮小によって雇用をより厳しく抑制しようとする。その結果、経済全体の失業率はより一層上昇する。それが、1997年頃までの日本経済の状況であった。
分水嶺としての1997年経済危機
戦後の先進諸国では、財政政策と金融政策を用いたケインズ的な総需要管理が制度化されたため、1930年代の大恐慌期のような深くて長い景気低迷は、少なくとも2008年のリーマン・ショックまでは生じることがなかった。それゆえに、名目賃金が大きく下落するという状況が長期にわたって続くこともなかった。しかし、1997年からの日本経済では、それが生じたのである。
日本経済は1996年頃に、ようやくバブル崩壊後の不況からの回復過程に入ったかのように見えた。しかし、1997年4月の消費税増税を発端として、景気が再び悪化し始めた。そして、1997年秋には戦後最大の金融危機が生じ、多くの企業や金融機関が破綻した。その結果、1996年には改善のきざしを見せていた雇用状況が再び悪化し、その後の失業率は2000年代初頭まで一方的に上昇し続けた。
そこで生じたのが、戦後のとりわけ高度成長期を通じて日本企業の間で一般化していた雇用慣行の空洞化であった。バブル崩壊以降の長期にわたる収益低下に耐えかねて、多くの企業が従来の慣例であった年功に応じた定期昇給を放棄し、成果主義などの導入を模索するようになった。その目的は明らかに、賃金の切り下げにあった。
日本企業はさらに、賃金コスト全体の圧縮のために、平均賃金の高い正規雇用から、それが低い非正規雇用への置き換えを積極化させた。就業者に占める非正規雇用の比率は、1990年代前半には20%程度がほぼ維持されていた。しかし、1997年の経済危機以降は、正規雇用の絶対数が減少し、それが非正規に置き換えられていくようになる。そしてそれによって、就業者全体に占める非正規雇用比率は断続的に上昇し続けるようになる。
春闘のベアもまた、1997年以降は一気に形骸化していく。2000年代になると、デフレを背景として、ベアの「見送り」や「停止」が一般化する。そして、リーマン・ショック後の2009年には、遂にベアが完全放棄されるに至るのである。
こうして生じた雇用制度の変化の本質は、要するに企業による賃金コストの圧縮であった。日本企業はこの頃には、単に不況によって販売が減少するだけでなく、デフレによって収益の額自体が縮小する時代に入っていた。そうした状況下では、企業がバブル期以前のようにベアや定期昇給を通じて労働者の名目賃金を年々引き上げ続けるなどは、とうてい不可能であった。
つまり、日本経済は1997年の経済危機以降、名目賃金の下方硬直性というアンカーが失われた、賃金が恒常的に下落し続ける時代に入ったのである。その下落幅は、深刻化していた物価下落をも上回るものであった。そのため、それまでは上昇し続けていた実質賃金も、遂には下落していくことになったのである。
これは、日本ではこの時期以降、単により多くの人々が職を失っただけでなく、運良く職を得た人々も時を経るごとに実質的により貧しくなっていったことを意味する。その責はすべて、先走った消費税増税とデフレ許容的な金融政策という、この時期の政府と日銀による歪んだマクロ経済政策運営に求められるべきである。
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