日本には「性別をねじ曲げてきた」長い歴史がある
Japan’s gender-bending history
東京・原宿の竹下通り Tomsmith585-iStock.
<日本でいま「ジェンダーレス男子」が話題を呼んでいるが、これは必ずしも現代的な現象ではない。同性愛も異性装も、近代以前にさかのぼる長い歴史があるからだ>
筆者は子供時代を日本で過ごし、その後も断続的に日本で暮らしてきた人類学者だ。居住期間は合わせて22年に及ぶ。しかし、筆者はいまだに、東京の原宿を訪れるたびに驚かされる。
原宿はファッション好きの若者が自分のスタイルを披露する劇場のような街だ。ヤングアダルトがカラフルで独創的な服に身を包み、混雑した路地をキャットウォークのように練り歩く。
ブティックには、男女両方のための化粧品がずらりと並ぶ。通行人の性別が分からないことも珍しくない。
例外もあるとはいえ、性差を意識させる外見(「女性らしい」、または「男性らしい」外見)は多くの場合、その人の性別を表す。そのため、日本で流行している「ジェンダーレス」スタイルは、一部の観光客を混乱させるかもしれない。今すれ違った人は男性だろうか? それとも女性だろうか?
性別を曖昧にするスタイルは、男女の区別なく若者の間に浸透している。しかし、日本のメディアは若い男性ばかりを取り上げる傾向にある。化粧を施し、髪を染めて整え、中性的な服を着こなす男性だ。こうした男性は「ジェンダーレス男子」と呼ばれる。メディアのインタビューで彼らは、女性のふりをしているわけでもないし、(必ずしも)ゲイというわけでもないと答えている。
日本におけるジェンダーレス・スタイルについて論じる人々は、これを現代的な現象として扱いがちだ。しかし実は、無視されている事実がある。日本には、性を曖昧にしたり、性別をねじ曲げたりしてきた長い歴史があることだ。
性別を問わないセックス
近代以前の日本では、貴族たちがしばしば男女両方の恋人をつくり、その密会が古典文学の題材になった。貴族たちにとっては、超越的な美が手に入れば、相手の生物学的な性別など重要ではなかった。
侍や将軍には正式な妻がいたが、それは政治的な思惑や後継者を残すという目的をもつ存在であり、その裏で彼らは、若い男性の愛人たちと秘密の関係を持っていた。
侍たちの精神生活にとって重要だった同性愛に妨害が入ったのは、19世紀後半、近代的な軍隊が編成されてからのこと。1872~1882年の10年間、男性同士の性交は犯罪として扱われた。しかしそれ以降、同性愛を禁止する法律は一度もつくられていない。
知っておくべきことが1つある。日本ではつい最近まで、性行為と性的アイデンティティーは結びつけられていなかったということだ。つまり、男性とセックスする男性や、女性とセックスする女性は、自分のことをゲイまたはレズビアンと思っていなかったのだ。
1990年代にHIV/エイズの権利擁護という文脈でゲイというアイデンティティーが登場するまで、性的指向は政治問題になったことも、政治化されたこともなかった。現在は東京、大阪などの大都市で、毎年ゲイパレードが開催されている。
日本では現在に至るまで、青少年の同性愛は発育期によくあることだと考えられてきた。文化的な観点から言えば、結婚や血筋を残す妨げになって初めて眉をひそめられる。そのため、若い間に同性愛を楽しみ、その後、結婚して子供を持つという人が多い。こうした社会的義務を果たした後、同性愛を復活させる人もいる。
論議を呼んだ「異性装」
同性愛と同じく、日本には異性装の長い歴史もある。最も古い記録は8世紀の文献で、兵士の服装をした女性たちの逸話などが残されている。近代以前の日本では、女性に課されたさまざまな制限を拒絶するため、あるいは男性が独占している職業に就くため、女性が男性のふりをするケースもあった。
1世紀前、断髪し、ズボンをはいた若い女性「モダンガール(モガ)」が現れた。アーティストたちはファッションアイコンとして歓迎したが、当時のメディアはおおむね否定的な反応を示した。女性らしさがなく、魅力的でないと暗に伝えるため、「ギャルソン」という呼び名を使う者もいた。
当時の批判者は、性別はゼロサムゲームのような関係にあると考えていた。つまり、女性が男性らしくなったら、その分、男性は女性らしくなってしまうということだ。
こうした懸念の声は、劇場まで入り込んだ。例えば、1913年に創設された宝塚歌劇団は女性のみで構成されていた(現在も大人気の劇団だ)。20世紀前半には、「男性化」した女性が舞台に立つことや、さらには、それを観る女性たちが受ける影響について、激しい論争が起きた(論争は今も続いている)。
しかし、現在のジェンダーレス男子は、単なる週末だけの異性装ではない。「男性は男性らしく装い、振る舞わなければならない」という既成概念を破壊したいと思っているのだ。
ジェンダーレス男子たちは、次のように問いかける。なぜ女の子と女性しかスカートやドレスを着てはいけないのか? なぜ女性しか、口紅やアイシャドウを付けてはいけないのか? 女性がズボンをはいてもいいのなら、男性がスカートをはいてはいけない理由は?
実のところ、「ジェンダーレス」という呼び名は適切ではない。ジェンダーレス男子は全くジェンダーレスではないからだ。彼らはむしろ、自らのスタイルについて、女性らしさと男性らしさを掛け合わせたものと表現している。
この点で、いわゆるジェンダーレス男子とよく似ているのが、19世紀後半~20世紀前半の「ハイカラ」だ。ハイカラと呼ばれた男性たちは、フェイスパウダーを付け、香水を振ったハンカチを持ち歩き、西洋風の外見にこだわっていた。
「女性よりも化粧に熱心な男性がいる」という当時の批判は、性別がゼロサムゲームと考えられていたことをよく表している。ハイカラの男性は「日本人らしくない」スタイルの美徳に取りつかれていて「女々しい」と、保守的な評論家はあざ笑った。
男性らしさという点で対極にあったのが、愛国心あふれる「バンカラ(粗野で野蛮)」な男性だ。バンカラたちは軍服風の学生服を着て、げたを履いていた。皮肉なことに、マッチョなバンカラたちの中には、彼らの「祖先」である侍と同じく――そして、キザなハイカラとは異なり――同性愛を楽しむ者もいた。
日本の「美少年」
おそらく、ジェンダーレス男子が最も影響を受けているのは、現代の日本で量産されている中性的なボーイバンドだろう。日本最大の男性タレント専門プロダクションであるジャニーズ事務所が育て上げた「SMAP」、「ジャニーズWEST」、「Sexy Zone」などのことだ。
ジャニーズ事務所に所属するティーンエイジャーのようなタイプを形容する言葉が「美少年」だ。この言葉が広く使われるようになったのは1世紀前。性別も性的指向も曖昧だったが、老若男女に広く受け入れられた若い男性に対して使われた。
1980年代に登場したグラムロックやパンクロックのジャンル「ビジュアル系」も、性別不明のきらびやかな衣装とヘアスタイルが印象的な美少年たちのバンドだ。21世紀に台頭した「ネオビジュアル系」は、中性的な雰囲気がさらに強調されている。その代表格が多作のポップスター「GACKT」で、国際的に活躍している。
先述したように、「ジェンダーレス(genderless)」という呼称が誤解を招く不適切なものだとしたら、もっとふさわしいのは「ジェンダーモア(gender-more)」かもしれない。こうした若い男性たちは、伝統的な男性らしさを否定・超越する形で自分を表現する権利を主張しているためだ(特に東京では)。
長い歴史を持つ日本文化には、新しい現象がたくさんある。しかし「ジェンダーレス男子」は、その中には含まれない存在なのだ。
(翻訳:ガリレオ)
Jennifer Robertson, Professor of Anthropology and Art History, University of Michigan
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.