コラム

ドーバー海峡を渡るイラク難民に共感できるか?

2010年12月21日(火)15時14分

 ニューズウィークでも欧米の移民・難民問題についてはたびたび報じているが、やはり日本で暮らしている分にはどうにも実感がわかない。命を落とす危険を冒しながら国境を越えようとする人々、取り締まりをする当局、難民たちに食事を配るボランティアの人々......。色々な立場の人が関わる大問題だとわかっていても、ニュースで見聞きするだけでは、自分とはまったく関係のない人々が巻き込まれている遠い世界の出来事としか感じられない。想像力が働かないから、共感できないのだ。

 治安が悪くなる、自分たちの仕事が奪われる、不法入国者である彼らのために税金が使われる、といった現実的な不満や危機感を持っている欧米の人々と違い、日本人は目を背けていればそれで何の問題もない。実際は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)主催の「難民映画祭」というものが成立するほど世界各地では身近なテーマなのだが。

 そんな私たちの意識を少し変えてくれそうなのが、公開中のフランス映画『君を想って海をゆく』だ。一つの秀逸なドラマの中に入り込んだ瞬間、観客は誰でも難民やそれを受け入れる側の心に自分の心を重ね合わせることができる。『Welcome』という皮肉な原題にフィリップ・リオレ監督の思いが込められたこの作品は、セザール賞10部門にノミネートされ、欧州議会が贈るルクス映画賞(2009年)も受賞している。


君を想ってメイン.jpg

(C)2009 Nord-Ouest Films-Studio37-France 3 Cinema-Mars Films-Fin Aout Productions.


 主人公は、3カ月かけてイラクからフランスの最北端カレまで歩いてきたクルド難民の少年ビラル。トラックに潜んでイギリスに密航しようとするが失敗し、ドーバー海峡を泳いで渡ることを決意する。ビラルが泳ぎを練習する市民プールのコーチ、シモンと彼の交流に、シモンの離婚問題が重ねて描かれていく。

 ビラルがイギリスに渡りたい一番の理由は、恋人ミナがロンドンにいるから。それから、サッカーのイングランド・プレミアリーグ「マンチェスター・ユナイテッド」の入団テストを受けるという夢もある。何かを夢みたり、愛する人を思う気持ちはどんな過酷な状況を生きていても(過酷だからこそ、かもしれないが)、のんびりと平和な世界を生きていても同じなのだと改めて思う。考えてみれば当たり前のことだが、それを忘れている人がけっこういるような気がする。

 真っ直ぐな瞳を持つビラル役の新人フィラ・エベルディも、どこか人生をあきらめたような、しかしビラルの存在によって変わっていくシモン役のバンサン・ランドンもいい。本当にいい。

 少し話がずれるが、この映画を観た直後、とても不快な光景を目にした。満員電車で赤ちゃんを抱っこする女性を目の前に立たせながら、優先席に腰掛けている3人のサラリーマン男性だ。

 仕事で疲れている? でも6時くらいに帰宅の電車に乗れるのだから、忙殺されている訳ではないだろう。持病があるのか? いや、3人がみんなそうだとは思えない。実際、私の3回の妊娠中も、電車で席を譲ってくれたのは若い男性か中年の女性だけ。若い女性もそうだが、特に日本の中年男性は他人への気遣いにつくづく欠けると思う。

 そういう中年男性にこそ、『君を想って海をゆく』のような作品を見て、もし××の立場だったら? と想像できる力を鍛えてほしい。

――編集部・大橋希

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story