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ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
イラン映画でロックする!
西洋文化に対する規制が厳しいイランで、アンダーグラウンドで活動するミュージシャンたちを描いた映画『ペルシャ猫を誰も知らない』が、8月7日から公開される。
主人公はアシュカン(写真、右から2人目)とネガル(左端)の若い2人。当局に見つかる度に逮捕と保釈を繰り返し、「もうこの国では音楽ができない」とイランを出る決心をしたところから物語は始まる。偽造パスポートとビザの仲介は、便利屋のナデルに頼むことに。だが、2人の音楽を聴いたナデル(お調子者だけど憎めないキャラ)は彼らの才能に感動し、「もったいない。国を出るなら、一度テヘランでライブをしてからにしろ」と説得する。「大丈夫。ライブの許可もとってやるし、パスポートの件も俺に任せろ」
アシュカンとネガルは一緒にライブをやってくれるドラマーとギタリストを探すため、いろんなバンドに会いに行く。フォークロック、ヘビメタル、ジャズ、ラップ、・・・・・・。みんな当局の目をかいくぐりながら活動しているミュージシャンだ。練習場所は文字通り真っ暗なアンダーグラウンドだったり、牛小屋だったり(ヘビメタルを聞きすぎた牛たちが乳を出さなくなったという話は笑える)。
実は、主役の2人をはじめ、出演者は大半が本物のミュージシャン。使われている楽曲も彼らのオリジナルで、ストーリーも彼らの経験に基づいているから、この映画のすべては現在のイランで実際に起きていることだ。
政府の抑圧に負けまいと、もがき続ける若者たち──テーマは決して軽くないが、別にどんより湿っぽい作品には仕上がっていない。むしろ彼らのたくましさやバイタリティーに元気と笑いをもらい、イランの音楽シーンの豊かさに驚かされるだろう。
また興味深いのは、この映画の着想から撮影過程が、映画の筋とぴったり重なっていること。新作の撮影許可がなかなか下りず、滅入っていたバフマン・ゴバディ監督が、偶然ネガルとアシュカンに出会ったのがきっかけだ。ゴバディ監督は彼らに自分と同じ表現者としての苦悩を見た。当局に無許可で17日間のゲリラ撮影を敢行。撮影中、2度拘束されたが、気転を利かしてうまく言い逃れたという。
ネガルとアシュカンは最終テイクの4時間後にイランを出国、現在はロンドンで活動している。ほどなくゴバディ監督も母国を離れ、イラクに移った。
イラクからインターネット電話で取材に応じてくれたゴバディ監督(公開前の来日はビザが下りず中止に)。タイトル『ペルシャ猫を誰も知らない』の「ペルシャ猫」は、映画に出てくるようなアングラミュージシャンを意味しているという。「ペルシャ」とは言うまでもなく、イランの昔の呼び名だ。でもそんな単純な話ではない。
監督によれば、イランではペットを飼うことは『西洋かぶれ』だとして禁じられているため、犬でも猫でも散歩に連れ出したり、車に乗せて一緒に買い物へ、というふうにはいかないのだそうだ。特に犬に対して厳しく、「触った人も汚れてしまうと、政府が『不浄』のイメージを植えつけてしまった」。だから動物好きな人たちは家の中でこっそり飼わなきゃいけない。そして今回の出演者の中には、猫を飼っている人が多かったのだと言う。
「そこで、とても高価で人気があるのに家の中で隠れて飼わなきゃいけないペルシャ猫を、あれだけ才能があるのにアングラで隠れて活動しなきゃいけない彼らに重ねたんです」
もう一つ、監督に確認したい、気になったことがあった。『誰も知らない』の「誰」とは一体誰を指しているのか?
「私もあなたも、世界の人たちすべてです。誰も彼らの才能を知らない」
「そこにはイラン政府も含まれる?」
「政府は当然知っているでしょう。規制しているのだから」
「でも彼らの存在は知っていても、実力までは分かっていないのでは?」
「それも分かっています。だからこそ厳しく規制する。エネルギーあふれる彼らを恐れているのだから」
──編集部・中村美鈴
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