- HOME
- コラム
- From the Newsroom
- 65年目のヒロシマに思う
コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
65年目のヒロシマに思う
ピカドンが落ちた後の広島の町。ハエがたかりウジがわく息子の死体の前に座りこんだ女性から、ゲンが桃をもらう――小学生のときに読んだ『はだしのゲン』の中で、なぜかずっと記憶に残っている場面だ。毎年夏になり、スーパーなどの店頭に並んだ桃を見ると必ずその場面を思い出してしまう。
8月6日、広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式に初めて参列してきた。よく晴れ、空は突き抜けるように青く、とにかく暑い。
こちらは一般席の白いテントの中、スプリンクラーのような霧状の水が頭上からまかれていたのでかなり快適だった。しかし、太陽が容赦なく照りつける来賓席などの人々は相当に暑かったはず。そしてあの日、灼熱の地獄で酷い傷を負い、真夏の強い日差しの中をさまよった人々はどれほど辛かったことか......。
式典の最初と最後に流れる音楽が、慰霊と聞いて思い浮かべるような穏やかなものではないのも印象的だった。あの悲劇を忘れるなと訴えてくる、重苦しくおそろしげな曲だ。
今年は過去最多の74カ国代表に加え、国連の潘基文(バン・キムン)事務総長や英米仏代表が初めて参列するなど注目が集まった。
ルース駐日大使が献花もせず何も語らず会場を去ったのは、原爆は正当なものだったという公式見解を持つアメリカの立場からすれば当然だろう。しかし来年以降、その姿勢は少しずつでも変化していくような気がする。豊かな川の水と緑に彩られた爆心地近くが、65年前には死臭漂う恐ろしい世界であったことをルースは想像せずにいられなかったはずだから。それを想像できるかできないかは、大きな違いだ。
自身の朝鮮戦争での体験に触れながら、グラウンド・ゼロ(爆心地)からグローバル・ゼロ(大量破壊兵器なき世界)へと呼びかける潘には「事態を進展させてくれるかもしれない」と期待を抱かせる何かがあった。公式の場で個人的な体験を語るとはそういうことではないのか?
リーダーシップに欠けるとか英語が下手だとか何かと批判される潘だが、広島訪問を実行した点はそれまでのマイナスをいくつか帳消しにできるほど評価されていいと個人的には思った(国連の存在は、そういう象徴的意味合いのほうが強い気がするので)。彼の演説後、会場からはひときわ大きな拍手が起こった。
世界の現状を考えれば、菅直人首相が式典終了後の記者会見で述べたような「核抑止力はわが国にとって必要」という認識が常識的なのだろう。オバマ米大統領が訴えた「核なき世界」の現実味も限りなくゼロに近いのかもしれない。それでも、あれほどの犠牲を生む、人類への脅威は一刻でも早く取り除いてほしいというのが庶民の願い。
東京ではちょっと出会わないほどの蝉時雨の中、黙とうでは涙が止まらなかった。
――編集部・大橋希
この筆者のコラム
COVID-19を正しく恐れるために 2020.06.24
【探しています】山本太郎の出発点「メロリンQ」で「総理を目指す」写真 2019.11.02
戦前は「朝鮮人好き」だった日本が「嫌韓」になった理由 2019.10.09
ニューズウィーク日本版は、編集記者・編集者を募集します 2019.06.20
ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか 2019.05.31
【最新号】望月優大さん長編ルポ――「日本に生きる『移民』のリアル」 2018.12.06
売国奴と罵られる「激辛トウガラシ」の苦難 2014.12.02