コラム

「何も決めない」米朝首脳会談を生んだトランプ外交

2018年06月13日(水)16時00分

トランプ大統領の「成功」

このように全体として不透明な内容の目立つ合意文書だが、一部には明確な記述もある。

合意文書で確認された4点の最後のひとつは、




・米国と北朝鮮は(朝鮮戦争での)戦争捕虜と行方不明の米兵の遺骨収集にコミットする。そこには、既に身元が判明した遺骨の米国への即時送還を含む。

アメリカにとって米兵の遺骨収集は朝鮮戦争の清算という意味で不可欠で、国内向けに成果としても宣伝しやすい。一方、物言わぬ遺骨なら北朝鮮にとっても同意しやすい。

これは日本人の拉致問題の扱いとは対照的に映る。トランプ大統領は事前に「金委員長に拉致問題を提起する」と約束し、首脳会談後の記者会見でも「提起した」と強調した。日本政府はそのこと自体を評価し、拉致問題を今後の日朝首脳会談で取り上げる足掛かりを得たと捉えているが、拉致被害者と遺骨とでは、その後の北朝鮮の反応もおのずと変わってくるとみられる。

アメリカ政府もそれは予想の範囲内だろうが、「何も決めない」のが大方針だとすれば、それ以上の突っ込んだ対応がなかったことも不思議でない。トランプ大統領としては、少なくとも「提起した」と強調しておけば、それ以上のことは「自分たちの責任ではない」と言い張れる。これもトランプ大統領が得意とするディール(取り引き)の一環といえる。

それでも、世界中のメディアがシンガポールに詰めかけた米朝首脳会談そのものが、トランプ大統領にとって自分の成果を喧伝する機会になったことは間違いない。「とにかく動かなかったものが動き始めた」ことを最大限に強調することは、中間選挙を控えたアメリカ国内で、有権者に向けてのアピールとなる。

ただし、その「成功」にはもろさがつきまとう。

スタートを切った米朝協議のゴールが相変わらず不透明なままであることは変わらない。米朝首脳会談後、トランプ大統領は非核化プロセスがまだ進んでいないことから、制裁を当面継続すると強調した。現状では北朝鮮も和解ムードに乗ることに利益を見出しているが、「非核化」の定義や制裁の解除をめぐる実質的な協議が始まれば、この雰囲気が保たれるのは困難と言わざるを得ない。

トランプ大統領にノーベル平和賞が相応しいかの判断は、まだ先のことになる。


筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。

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プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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