コラム

ダッカ事件「私は日本人だ」の訴えを無にするな

2016年07月07日(木)11時36分

 昨夏の安保関連法案の国会採択時に、アラブ世界のメディアでも「日本は米国とともに軍を外国に送り、戦争をする国になる」というとらえ方で報道された。もし、将来、自衛隊が中東に派遣されて、自衛のためであれ、現地の人間を殺傷することになれば、「日本は殺していない」という主張は成り立たなくなる。

 そのような「平和主義」の理屈がISに通じるとは思わない。しかし、ISの暴力に影響される若者たちに向けて、ISの暴力の不当性を訴える意味はある。ISがアルカイダなど、これまでのイスラム過激派と異なるのは、3万人以上の若者が世界から参入している影響力の大きさと広がりである。ダッカ事件のように日本人が無残に殺害された後では、ISに言葉は通じず、力でつぶすしかない、という議論が日本でも広がるかもしれない。しかし、日本政府が米国主導の対テロ戦争により深く関与していくことは、むしろ、イスラム世界と非イスラム世界を分断し、対立させようとするISの思うつぼである。

【参考記事】バングラデシュ人質事件、日本はこれから何ができるのか?

ISではなく、ISに影響される若者たちに向けて訴えを

 ISが湯川さん、後藤さんにナイフを向けた時のビデオ声明を思い起こせば、ISはまず「日本が戦争を仕掛けてきた」と、自分たちが日本人を敵視する理由を示した。そのような説明をしたのは、ISでさえ、日本人にナイフを向けるにあたって、イスラム教徒やイスラム世界にむけて自分たちの正当性を唱えなければならなかったということである。それはISによるイスラム世界に対する「日本敵視」についての情報戦である。それに対して、日本は日本人が殺害されることの不当性をイスラム世界に向けて訴えることで対抗すべきである。ISを説得するためではなく、ISに影響される若者たちに向けて「暴力の不当性」を訴えるためである。

 ISを含むイスラム過激派のテロが厄介なのは、本人たちが殺人をイスラムの教えを実現するための「ジハ―ド(聖戦)」と正当化していることである。イスラムでは殺人は大罪であるが、殺人が罪ではなく、信徒としての義務となるためには、「ジハード」として正当化されなければならない。もし、理屈の上で、殺人が正当化されなければ、聖戦の根拠は崩れ、大罪を犯していることになる。

 論争によって、過激派が暴力を放棄した例としては、エジプトで90年代前半に観光客襲撃を繰り返した「イスラム集団」がある。1997年11月にルクソールで日本人10人を含む60人近い観光客を殺害したことでも知られる。イスラム集団の組織内で暴力行使に対する論争がルクソール事件前後から起こり、エジプト国内のイスラム集団の指導部は2000年前後に武装闘争中止を宣言し、合法的な政治運動へと転換した。

 ISに参加したり、イスラム・テロに関わったりする若者は、狂信的で理屈が通じないと思うかもしれない。しかし、彼らが従うのもまた「イスラム」である。ジハード(聖戦)についてコーランでは「あなたがたが不信仰者たちと(戦いで)出会えば、彼らの首を切り落とせ。かれらの多くを殺したら、次に縛り上げよ。戦いが終れば放してやるか、身代金を取るなりせよ」(ムハンマド章)とある。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国、今後5年間で財政政策を強化=新華社

ワールド

インド・カシミール地方の警察署で爆発、9人死亡・2

ワールド

トランプ大統領、来週にもBBCを提訴 恣意的編集巡

ビジネス

訂正-カンザスシティー連銀総裁、12月FOMCでも
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 2
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃度を増やす「6つのルール」とは?
  • 3
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...その正体は身近な「あの生き物」
  • 4
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 5
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 6
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 7
    「不衛生すぎる」...「ありえない服装」でスタバ休憩…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 10
    「腫れ上がっている」「静脈が浮き...」 プーチンの…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 10
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story