コラム

東アジアにおける戦略関係の転換期

2016年09月15日(木)11時38分

FROM LEFT: Agencja Gazeta/Slawomir Kaminski/via REUTERS, Mike Segar-REUTERS, Lean Daval Jr-REUTERS

<フィリピンのドゥテルテ大統領が「アメリカは出て行け」と言い、アメリカのトランプ大統領候補が「アジア防衛は無駄だ」と言う。これにより、アジア太平洋地域のパワーバランスが大きく動き、まずは南シナ海、その後は東シナ海の尖閣諸島を中国が掌握することさえ現実になりかねない>

「ドゥテルテ比大統領、米との軍事同盟転換を示唆」(ウォール・ストリート・ジャーナル)

 これは、今後のアジア太平洋地域のパワーバランスや安全保障環境を大きく動かしかねない、とても大きな決定だ。あまり、日本では広く報道されていないが、今後の東アジアの戦略関係を考えると、一つの大きな転換点となるであろう。

 気になるのは、ドゥテルテ大統領とトランプ大統領候補が過激な発言をするスタイルが驚くほど似ており、それが悪いスパイラルとなり、事態を予期せぬ悪い方向へと導いていくことだ。両者とも、安全保障や外交には興味もなければ、経験もなければ、残念ながら理解もない。ドゥテルテ大統領は「私は米国人が好きではない」と宣言し、他方でトランプ氏はアメリカ国民のお金を使ってアジア諸国を防衛することは無駄だと語っている。自分の国のことだけ考えることが正しいことだ、と述べることで、圧倒的な国民の支持を得ているのだ。これは、多かれ少なかれ、どこの国にも見られる現象である。6月に、イギリス国民は非効率的なEUに分担金を支払うことは、大切な国民のお金の無駄遣いだと述べていた。

【参考記事】トランプの「暴言」は、正式候補になってますますエスカレート

 つまりは、アジア諸国から「出ていけ」と言われ、アメリカ国民側も「アジアから撤退せよ」と述べているとすれば、長期的趨勢として、アメリカのアジア関与が後退していくことは、かなりの程度自然な成り行きとなるのではないか。アメリカの関与が大きく弱まった東アジアを、われわれは想起しなければならない。

 その後、ドゥテルテ大統領は、おそらくは外務省や国防省からの助言を受け入れて、自らの発言を修正するような姿勢を示している。しかしながら、フィリピン政府がどのような態度を示そうとも、アメリカの世論はこれから南シナ海で関与を深めることで中国との関係を悪化させたり、そのための財政負担を負うことによりいっそう大きな抵抗を感じるであろう。多くのアメリカ国民は、南シナ海の問題でフィリピンを支援したり、東アジアの安全保障問題に深く関わることが国益であるとは考えていない。

 その第一の影響として、南シナ海でフィリピンとベトナムが自らの領有権をこれ以上主張するのは難しくなるであろう。国連安保理常任理事国のロシアが、先日、中国政府がICJ仲裁裁定を拒絶すると述べたことを「支持する」と意見を表明した。中国政府高官はICJの裁定を「紙屑」と述べ、これから国際法や法の支配に基づいた国際秩序は大きく傷つけられるだろう。

 そのうえで、本来であればアメリカのパワーに依拠しなければならないはずのフィリピン政府が、アメリカに「出ていけ」と言っているわけなので、アメリカ政府は堂々とそのようなドゥテルテ大統領の発言に責任転嫁をして、アジアでの軍事関与を後退させる口実を得たことになる。だとすれば、アメリカが東アジアへの軍事関与を削減したことで、地域情勢が不安定化したという批判を、回避することができる。

プロフィール

細谷雄一

慶應義塾大学法学部教授。
1971年生まれ。博士(法学)。専門は国際政治学、イギリス外交史、現代日本外交。世界平和研究所上席研究員、東京財団上席研究員を兼任。安倍晋三政権において、「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、および「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」委員。国家安全保障局顧問。主著に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和』(有斐閣、櫻田会政治研究奨励賞)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『国際秩序』(中公新書)、『歴史認識とは何か』(新潮選書)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲うウクライナの猛攻シーン 「ATACMSを使用」と情報筋
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさ…
  • 6
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 7
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 8
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    雪の中、服を脱ぎ捨て、丸見えに...ブラジルの歌姫、…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story