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「対話と交渉」のみで北朝鮮のミサイル発射は止められるのか
以前とは異なり現在では、ミサイル迎撃システムはかなりの信頼性が認められている。たとえば、イスラエルが配備する最新鋭のミサイル防衛システム「アイアン・ドーム」は、実際にパレスチナからのロケット弾を繰り返し迎撃しており、かなり高い確率で打ち落とすこと成功して国土の安全に寄与している(イスラエル政府はその確度が90%ほどと述べているが、実際にはもう少し低いであろう)。幸いにして、今回の北朝鮮のミサイル発射実験では沖縄の先島諸島上空を通過して、日本の領土や領海に直接危害を加える結果とはならなかった。だが、それが大きな被害に繋がった可能性はなかったわけではない。
どのようなときに「対話と協調」が失敗するのか
さて、日本はこのような安全保障上の脅威に対して、どのように国民の安全を確保すべきであろうか。他国を信頼するだけで、本当に国民の安全を確保することができるのだろうか。また相手国を信頼して裏切られたときに、政府はそれを「想定外」でやむを得なかったと弁明してよいのだろうか。
昨年夏に、安保法制を厳しく批判して街頭での行動を行ったSEALDsは、ホームページの「オピニオン」として、「私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます」と論じている。また、「東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく」と論じ、「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます」とも述べている。いずれも、それ自体は適切な主張であると思う。
だが、日本やアメリカなどの民主主義諸国が過去10年ほどの間に財政的理由などからも大幅に防衛費を削減せざるを得なかったのに対して、民主主義国家ではない中国や北朝鮮は、自国の経済成長率を大きく超えた軍拡を続けて、実質的に「軍縮・民主化の流れ」を否定してきた。また、今回の北朝鮮の「ミサイル発射」を自制させるために、中国政府が繰り返し自制を強く要請したその「平和的かつ現実的な外交・安全保障政策」もまた、うまく機能することはなかった。SEALDsのなかで、国際社会におけるあらゆる緊張や脅威が「対話と協調」で解決可能と考えている人がいるとすれば、それらがなぜうまくいかないことがあるのかをていねいに説明する必要があると思う。
軍事力や日米同盟に依拠するような安全保障政策を批判するならば、彼らはミサイル迎撃システムPAC3によって日本国土の安全を守り、また米軍からのミサイル追跡情報の提供を受けることに反対の立場なのだろうか。具体的にどのようにして、「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策」によって、北朝鮮のミサイル発射実験や、核実験を阻止することが可能であったのだろうか。中国政府が執拗にそれを自制するように要請しながらも、北朝鮮政府が従わなかったことを、どのように受けとめているのか。不明である。
われわれが国際政治の歴史から謙虚に学ぶことができるのは、軍事的手段のみに依拠するのが好ましくないということと同様に、外交的手段のみに依拠することが十分ではないということである。外交的手段と軍事的手段の2つを巧みに組み合わせてはじめて、「対話と交渉」もまた十分な効果を発揮するのだ。つまりは、SEALDsの安全保障論の大きな問題は、「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策」を求めたことそれ自体なのではない。そうではなく、それのみに依拠して軍事力や日米同盟が国民の安全に寄与しているという現実を拒絶し、対話のみであらゆる摩擦や脅威を解消できるかのように錯覚していることである。
外交の歴史とは、その成功の歴史であると同時に、幾多の挫折と失敗の歴史でもある。どのようなときに交渉が合意に到達して、どのようなときに交渉が行き詰まり決裂するのか。本当に平和を願うのであれば、SEALDsの参加者もまたそのような外交の歴史を真摯に学ぶ重要性を感じて頂きたい。外交交渉を行うにしても、毅然たる態度を有して、背後に十分な軍事力を持ち、また国際社会としての連帯を控えることで、その交渉もよりいっそう大きな効果をもたらすことがあるのだ。
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