大谷翔平がベーブ・ルースに肩を並べた部分と、すでに上回った部分
7月13日のオールスター戦で160キロ超の速球を連発した DUSTIN BRADFORD/GETTY IMAGES
<アメリカの家庭では「常に大谷が話題」だが、ルースに会ったことのある私の父なら彼をアール・コームスとも並べて称賛するだろう>
私のようなボストン・レッドソックスのファンは普段、時差のため西海岸のロサンゼルス・エンゼルス所属の大谷翔平のプレーを見る機会が少ない。だから7月13日夜に行われたオールスター戦をとても楽しみにしていた。
この日、大谷は際立ったプレーを見せたわけではなかった。1回表に大歓声の中で先頭打者として打席に立ったが、内野ゴロで凡退。先発投手としては1イニングを3人で抑え、160キロの速球も投げ込んだ。
その後、第2打席も内野ゴロに終わった。MVPは特大ホームランを放ったウラジーミル・ゲレーロJr.が受賞した。だがこの夜、最も輝いていたスターは大谷だった。
アメリカの野球好きの家庭ではどこも同じだろうが、わが家でも大谷は常に話題になってきた。なにしろ、大谷は野球選手の能力を測る主要な5つの基準でことごとく傑出している。
打率も上々だし、本塁打王争いでは現時点でトップを独走している。1塁に到達するまでのスピードも大リーグ屈指。その上、160キロを超す速球を投げ、華麗な守備まで披露する。このような選手を真のオールラウンドなプレーヤーと呼ぶのだろう。
おのずとベーブ・ルースと比較される
家族の会話では、おのずとベーブ・ルースとの比較が話題になる。100年前に活躍した投打二刀流プレーヤーだ。大リーグのスーパースターとして長く君臨したルースは、人間を超えた存在のように見なされてきた。どんなに優れた選手でも、こんな歴史上の大選手と比較されたくないだろう。
実は、私の父は7歳の頃、ルースと会ったことがある。1929年、ルースが当時所属していたニューヨーク・ヤンキースがレッドソックスとの試合でボストンに遠征していたときのことだ。その日はイベントが企画されていて、子供たちは試合前にベンチで選手と触れ合うことができた。
「足がすくんだ」と、父は当時を振り返った。それでも、母親にけしかけられてベンチに足を踏み入れた。どの選手がルースかも分からなかった。そもそも、選手たちの顔を見ることもできなかった。
「下を向いたまま、そばにいた選手にプログラムを突き出した」と、父は言った。「『坊主、どいてくれ! おまえに構っている暇はないんだ』。その選手は不機嫌そうに、私を押しのけた。それがベーブ・ルースだった」
「でも、その様子を見ていた別の選手が声を掛けてくれた。『坊や、こっちにおいで。サインしてあげるよ』。私はサインしてもらったプログラムを持って母親のところに逃げ帰った。その選手はアール・コームス。いい選手だった。子供にも優しかった」
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