岸 研究者であると同時に、多くのお弟子さんを育てました。神戸大学の五百旗頭ゼミは夕方5時に始まり時間制限なし。10時半頃まで続くこともあったと聞きます。國分先生はゼミを一緒になさっていますね。
國分 五百旗頭先生が神戸大学にいらしたときに数年間、慶應の私のゼミとの合同ゼミを、神戸でやったり東京でやったりしました。もともと神戸、一橋、大阪市大の三商ゼミという伝統があり、ディベート戦の後にソフトボールの試合というダブルヘッダーのこともあったそうです。
五百旗頭ゼミは京大の中西寛ゼミとも合同ゼミをやっていました。おかげで外交・国際関係分野の学生たちの交流が広がりましたね。五百旗頭先生は学生が好きですから、飲み会も含め議論にとことんつき合います。私のゼミの学生は皆、本当に良い思い出を持っています。
私も慶應時代に午後3時から8時まで毎週やっていたものですから、五百旗頭先生は「どっちが日本一かなあ」などと言っていましたね。
私は彼のお弟子さんの話も息子さんの話も直接はあまり聞いたことがないのですが、息子さんも含め弟子たちに「絶対に負けない」という負けん気が結構強く、競争相手として見ているような感じを受けていました。
御厨 それはありますね。
蒲島 それで自分を高く保つために、見えないところで必死に努力をしていたのかもしれないね。そういう完全主義的なところはあったかもしれない。それは人には見せませんでしたけれどね。
御厨 後進について彼が言ったことで思い出すのは、「自分は高坂正堯さんから多くを学んだが、1点だけ自分のほうが優れていると思うところがある。高坂さんは学会を大事にしなかった。自分は学会を大事にする」と。学会といえば彼は役職をずいぶん引き受けていますよね。学会を大事にしながら、自分の弟子以外の若い人にも声をかけていった。
岸 先ほどお話しした、米国立公文書館で発見した日本分割占領案。あれに関して国際政治学会で報告し、異論を唱える占領研究の大御所、一橋の細谷千博先生と堂々とわたり合って以来、細谷先生の理解も得たし学会でも認められるようになりました。
2019年に日経新聞に連載された「私の履歴書」に「学会には正義も良心もあると思った」と書いています。あのとき学会の価値を身をもって感じたのかもしれません。
蒲島 学会を大事にするというのは、災害の審議会などを大事にすることともつながりますね。よりダイレクトに社会を良くすることだから、本当に一生懸命に尽くされた。
御厨 おっしゃるとおり。いつも誠心誠意でした。